学校施設開放の制度「学校施設開放事業」ができたのは、昭和40年だそうだ。当時、社会装置としての公園が狭く、子供達の遊び場が少ないからと、学校のグラウンドを開放することにした。ところが、グラウンド内で野球・サッカー・ドッヂボールなどが幅をきかせ、取り合いになってしまった。そこで、地域の人々と話し合って学校開放委員会を設立して、グランドの住み分けをし、スムーズに行くようになった。近年では、周辺に公園ができてきたこともあり、平成10年に「団体使用を原則とする」として、現在に至っているそうだ。
しかし、未だ学校によっては個人使用も認めている学校もあるようだ。東灘区では、14校のうち10校が、現在もなお個人使用を認めている。
▲ 地域の事情に応じ、子供のために活用を
私は、ひとまず、今の状況で良いのではないかと思う ─ というのは、いずれの組織にも共通して、一つの仕組みでの運営が長く続きすぎると、色々な面で不満や異論が出がちになるからだ。
学校施設は、あくまで学校の管理下にある。この原則から離れることはできない。だが、地域で話し合えば、折り合えるところがきっと見つかるだろう。「子供のため」という大儀は一緒なのだから。