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2011年 03月 12日 土曜日

16年前の阪神淡路大地震を思い出したのは、東日本大地震での大津波があるという午後3時20分の報道だ。津波が東灘区に来るかと… 心配でならず、すぐさま調べた。最大で30㎝くらいと知らされていたので、対応を聞いてみると「津波警報が出ているので、その手順に従って行なう」という。東灘区の津波における弱点でもある、国道43号線以南の御影・魚崎・深江地区を回ってみたところ、地域の防災システムは、うまく機能していた。

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▲ 警戒中の職員の言葉に安堵
例えば、魚崎地区の防潮堤。交通量の多いところ以外は、閉鎖。深江の高橋川は以前も逆流で溢れ、床下浸水したところ。午後6時23分、現場に到着してみると、すでに東部建設事務所の車が停まり、職員が2人、警戒中。本当に嬉しく「ご苦労様です。きっちりと東灘区におけるアキレス腱を押さえてくれている。いつも東部建設の活躍は高い評価をしているが、こうして市民の命と財産を守ってくれている。ありがとう」と思わず握手。3人で川を眺めながら「満潮が午後6時頃ですから、一応大丈夫だと思ってます」というその言葉に、ホッと胸を撫で下ろした。

引き続き、東灘区の津波の危険箇所を六甲アイランドを含めて第三工区を見回っていると、16年前の記憶が走馬灯のようにめぐり、涙が止まらなかった。

休憩のために一度自宅に帰る途中、あるご家族と出会った。今回の地震が話題になると、奥様が「私達に何かできる事がないかしら。何でも良いので送りたい気分です」とおっしゃるので、私は「今は輸送関係が送り返されるので、落ち着いてからにしましょう」と言った。彼女は私と同じように、16年前を思い出しているのかも知れない。

一方で、最も心配していたのが、原発。枝野官房長官は胸を張って「絶対大丈夫。炉を冷すための電力不足が問題だ」と言っていたが、ついに、伝えられているところの「爆発的事象」が起こってしまった。これ以上事態が深刻にならないよう、火急の対処が待たれている。

今日、神戸市の消防局長からは長野に向けて「まず先発隊として10隊33人を派遣した」と報告があった。車輌も26台同行する。本当に、役に立って欲しい。