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2011年 03月 01日 火曜日

今、市会で色々な問題が取り沙汰されている、兵庫区湊中学校と中央区楠中学校の… 合併統合。湊翔楠中学校になるのを控えた27日、湊中学校の同窓会総会がポートピアホテルにて催された。

実は、案内状が届いてから出欠など苦慮していた。というのも、毎土日に市政報告会を各地で展開している真っ最中でもあり、私の心の中で、若いころの仲間と逢いたかったからだ。生徒会長を務めるなど、議員の芽生えもあった。剣道部のキャプテンとして、青春をついやした思い出がつまった中学時代だ。秘書を含めたボランティアの方々と会議を開き、中山秘書を説得して、市政報告会をキャンセル。特に、同窓の藤岡敦子さんからの、美しい字でしたためられたお便りの中に「ぜひ出席して下さい」とあったのに人の繋がりの暖かみを感じて、出席を決意した。

当日会場に行ってみると、私の席がなかった。出席の手続きを忘れていたのは、中山秘書のささやかな抵抗だろうか。藤岡さんの計らいで、欠席者の席に潜り込んで周りをうかがうと、多くの方。座ったテーブルで、皆、キョロキョロしては、記憶を思い起こしている ─ 私もそんな一人だった。

40〜50年ぶりに合う人がほとんどで、皆からいろんな話しを聞いた。多くの苦しみや苦労だってあったろうに、人生を見事に歩み、それぞれにいぶし銀のように、自信と誇りが感じられ、それでいて謙虚で元気な姿に感動した。

ある同級生と思い出話をしていると、私達の生きた50年は、まさに敗戦の混乱から一定の落ち着きを取り戻し、日本国民が一団となって経済復興をなした、その始動の時期だった。人々は貧しくても夢を持ち、不安はなかった。私が女性を愛するようになったのも、その頃だった。マドンナと複数で放課後残って学習をする ─ それだけで、胸がときめいていたのは、甘く大切な思い出だ。同窓会の席でも、その女性は、相変わらず美しく、明るく眩しかった。昔と変わらず、オッチョコチョイで事務能力の低い私を「ちょっと、そんな事したらあかんよ」と、たしなめる。50年のときを越えて、私は学生時代に戻っていた。

藤岡さんから、金子直子さんのお話もうかがえた。金子直子さんは、日本最大の商社、神戸の鈴木商店の名番頭金子直道氏のお孫さんで、よくお宅に遊びにいっていた。沖先生という人格豊かな先生とともに、お世話になった。金子家の中心には賢いお母さんが居られ、常に家庭をもり立て、ご主人を大切にし、どんな時も変わらぬ大きな女性だった。

そんな金子家の長女が、直子さん。私がアメリカにいた頃、直子さんからアメリカに留学したいとのお便りを頂いて、私は大反対した。当時のアメリカはベトナム戦争下。激しい人種差別で、アメリカが狂っている時だった。しかし、その後アメリカに留学でき、アメリカ人と結ばれて、今ではカナダで立派にビジネスをなさっていると教わった。そうではないかなぁ、と想像していた予感が的中した。

ところで、会場では言うべきでもなかったので言わなかった統合の問題については、また明日…