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2011年 02月 07日 月曜日

「本山というこの地に駅を造って下さい」と、かつて、昔むかしに、土地と資金を出した当地の村の先人達。その存在を… ゆめ忘れてはなるまいと改めて思ったのは、2月5日、各紙に掲載された「JR摂津本山駅建て替え計画13年秋から橋上駅に」の記事。あらかじめ4日午後新聞発表と聞かされていて、楽しみにしていたのだが、実際に活字になると、気の引き締まる思いである。

完成予想パース
バリアフリー化のための駅の橋上化を主目的に、上下線ホームと自由通路南北計4機のエレベーターに加え、両ホームに計4機のエスカレーターが設置される。多目的トイレは改札外に2ヶ所。地域の情報を発信するコミュニティーを設け、その設置運営について地元と話し合う事などが報じられ、着工は4月から。会議で決定した通り、忠実に発表されていたので、安堵。ほぼ満足いくものだった。

完成予想パース
とはいえ、まだ積み残した問題もある。工事の時間帯や騒音、外観等、追いおいに、地元懇談会で良く話し合って進めていく事になっている。

思えば、私が議員になってからずっと、この問題と関わり続けてきている。34年間、多くの声を聞いた。たくさんの人々がお亡くなりにもなった。多くの方が怪我をされ、多くの方が住吉駅までタクシーを使った。たくさんの陳情が出て、委員会でも論議を重ねた。2期生の時だっただろうか、現在の西側オーバーブリッジを、みんなで造った。

田邉の踏切の上に付く予定だったために、中央自治会ができたともいわれているほど。当時頑張って下さった、小松さんや佐々木さんの顔が浮かんでくる。神戸市の都市計画総局のM課長は、私の厳しい注文を聞きながら、よくやってくれた。彼もまた、10年先の駅と住民を思ってくれる立派な公務員だと、良く分かった。

嬉しいことに、阪神御影駅はこの4月でほぼでき上がり、クラッセと駅を結ぶオーバーブリッジの渡り初めセレモニーを計画できないかと話題になっている。選挙前で多忙だろうが、そんな時期に、私の二大公約が実現できた。本当に嬉しいが、それはもちろん、私だけの力ではない。みんなが力を合わせて、コツコツと努力したそれが積もりつもって、実現の時期が来ていたのだ。それほど、難しい事業だった。

駅は地域の住民が生み、育てる。私にできたのは、そのささやかなお手伝い。それでも、公約の筆頭を、ずっと摂津本山駅と阪神御影駅のバリアフリーにして、選挙の都度、まだ実現できない…市民に申し訳ないと、心が痛んでいた。新任の区長が挨拶に来る度に「仕事をしよう」と言ったが、それは、摂津本山駅と阪神御影駅のバリアフリー化の約束。ずいぶんと長かったが、できて良かった。本当に嬉しい…と同時に、高齢者の増える時代に間に合って、今はホッと安堵している。