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2011年 01月 31日 月曜日

18年前の『ドーハの悲劇』から『ドーハの夢』に変えてくれた日本サッカー陣に… お礼申し上げたくなった、北陸の日帰り旅行。食通KさんとカッコイイSさん、それに素敵なTさんとのふらり旅。真っ白な大雪原の中、サンダーバード37号車は、颯爽…とは行かず、トロトロ走った。

車内では、29日深夜のアジアカップの話しで持ち切り。と、いうのも、Sさんはサッカーをしていた方。まずアルベルト・ザッケローニ監督の采配について、選手交代の時期と選手の選択。特に決勝の李忠成の起用については、李の性格をくみ取り、ずっと控えに置き、餓えた闘犬のように送り出した事が良かったというように、色々と教わった。

松井大輔や香川真司の代わりに岡崎や伊野波が大活躍した裏には、ザッケローニ監督が選手と何回も話し合い、意見を聞いて個々の性格と技量をすべて頭に入れているからだそうだ。韓国戦での本田圭祐をPKの一番手に起用した勝負師のような事も、その裏付けとか。聞く事すべて、納得。

名将ザッケローニを、指名して自ら誘致にあたったのは、東灘区岡本に居られるDさんという話は、特に興味深かった。Tさんとはサッカーで結ばれていて、TさんはDさんを信頼しておられる上に、本山中学校関係でも結ばれている。彼は、今回の勝負はDさんの力によるものでもあると強調し、本山中学校のお陰とも。かなりの屁理屈ではあるように思うけれど、まぁ、それはそれで楽しい。

そういえば、足の小指の骨折で出場できなかった香川は、神戸市垂水区の出身。六甲アイランドのNPO法人兵庫県サッカー夢クラブで、子どもの頃練習していたと言う。12歳で仙台にサッカー留学。香川選手が六甲アイランド時代に教わった友人のOさんが「子ども時代からしっかりしていて、よく考える子どもだった」と語っていたのを思い出した。

話しはさらに進んだ。兵庫県はサッカー王国で、その基盤は神戸高校の高山忠雄校長だという。私は兵庫高校の出身で、思えば昔、神戸のサッカー、兵庫のラグビーと、定期戦が有名だった。兵庫高校が神戸高校の定期戦で負けた時、私が指揮して歌った復讐の歌「過ぎにし年の うらみをば いかでか忘れん ますらおの 誓いに誓いし 復讐を 成すべき時は 今なるぞ いでやふるわん 年いたる」を思い出した。

当時、神戸高校の高山監督は、雨の日も風の日もグラウンドに立って選手を励まされた。そうした立派な先人があったればこそ、アジアのチャンピオンになった…と、これも屁理屈かなぁ…。