Skip to main content.

2009年 06月 22日 月曜日

久々で、40年来の友人と昼食を共にした。これがいい男で… 一部上場企業の副社長を務めていた。彼の友人と長男、中山秘書に加え、仲間の市議・県議も共に、楽しいひとときを過ごした。
その会社が、二酸化炭素をいかになくすか、かなり長期的な視野に立って考え、戦略を練り案を示していて、色々と勉強になった。その会社は昔、朝のトイレの時に便座に座った人の血圧や脈拍や体重等のデータを毎日管理し、生活に気を配って健康を守るシステムを開発したが、許可が下りずに失敗した。なかなか冴えたアイデアを持った会社である。

古い学友のN君とは午後3時に会い、「深江文化村」について夢を語り合った。
約90年前、ロシア革命から逃れてきたロシアの文化人たちがいた。何と現在の東灘区深江に、そのうち何十人かが住み着いて、ロシア村が発生した。その人々から多くの日本人が、屋敷に住んだり、近隣に泊まって文化を学んでいった。例えば、朝比奈隆貴志康一大澤壽人等がおり、ロシア人と家族的な交流を深め文化を学んだ。ある意味では、日本文化の基礎を築いたのである。


夢を語り合う
N君は、この土地に住み、このまま人知れず、深江文化村が埋没する事を嘆き、区役所と連絡を取った。その連携の中で文化碑を建てる運びになりつつある。一方、甲南大学の、ある著名な学者も、この事に注目し、ご支援下さるようだ。私はその学者に区役所でお会いした時、「地域の持つ宝物はその地域も分かって下さるが、周りの人々がその宝物に気付く事が多い。こんな素晴らしい地域の宝物を、これから世に広める必要がある」と仰った。全くその通りである。

今ならまだ、「幼いとき、屋敷の中で遊んだ」とか、「祖父が屋敷の設計にたずさわった」といったように、その当時の様子を知る人々がおられる。今のうちに、何かを成すべきだと思う。

それにしてもN君は立派で、一部上場企業を引退し、その時間を地域の為に捧げようとしている。私の誇るべき友人である。また、今でもバレー部の監督として、愛するバレーの指導に当たっている。

リタイア後の人生の、素晴らしいモデルではなかろうかと感じ、私もリタイア後を考えなければ、と思った。