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2010年 10月 30日 土曜日

大々的な報道で防災訓練が実施されたのを知った次の日、「なぜ呼んでくれなかったのか」と東灘消防署に不満を伝えると… 署長から「東灘区の議員には、出席するよう連絡したのですが…」という返事。調べてみるとその通りで、平謝り、お詫びした。しかし、地元の人々 ─ 特に御影の人々には、何の連絡もなかったようだ。

国土交通省によれば、南海大地震は30年以内に35%くらいの確率で起こるらしい。各関係知事も、必ずあるとの認識で警戒しており、心強く思っているが、そんな可能性を背景に、去る10月27日、東灘区御影浜町の石油や高圧ガスを扱う工場、ティー・エム・ターミナルとその周辺海上で、災害訓練が行われたのだ。

思えば、15年前。阪神大震災で大変な恐怖とパニックに陥ったのは、そのティー・エム・ターミナルのタンクからガスが流出、または爆発するとの情報が流れたからだった。当局からは、先ず「国道43号線以北に避難するよう」勧告が出され、次いで「国道2号線以北へ」「JR線以北へ」と、距離をより隔てるよう警告が続き、大変なパニックになったのだ。

結果何事もなく、約半日で自宅に帰る事ができたが、私は、御影高校と御影小学校で避難されていた人々のお世話をしていて、群衆が移動する姿を見て恐怖が走った。

それから2週間くらい経った、ある日。食通のKさんが怒って事務所に。「あんなに迷惑をかけたティー・エム・ターミナルが、区民にお詫びもせず、経過報告もせずに再開するのは、理解できない」と仰ったのだ。

あの時、避難勧告が出たために、救出中だった神戸大学の学生を放置しざるを得なかった。救出の手を止めて避難したために、多くの人々が死んでしまっただろうと思うと、今でも悔しさで胸が詰まる。ティー・エム・ターミナルは、いかに合法的であったにせよ、危機管理ができていなかった。さらには、その後施されたであろう改良の結果も、何ら知らされていない。

避難中に空き家になった家々には、盗難も頻発した。それが、地元に何の報告も断りもなく再開されたのでは、たまらない。私にも、こだわりがある。

御影連合自治会長Fさんと相談し、区役所を通じて抗議した。当時の区長も同感と、地区と相談するよう指示してくれた。かくて、ティー・エム・ターミナルと自治会長の会議が行われ、結果、東灘区全体の自治会長との間で協定ができた。地元御影自治会が、必要に応じ立ち入って視察したり、定期的に懇談するように取決めたのだ。区民には、新聞折り込みでお詫びと報告が成された。以後、地元とは良い関係が続いて、今日に至っている。

そんな背景があっての、今回の訓練。私が空しく思う理由が、分かっていただけただろうか。むろん、企業を守る訓練としては、それはそれで良い。だが、前述のような状況を体験した地区住民としては、割り切れなさを感じるのである。

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