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2009年 06月 14日 日曜日

昨夜、鹿児島県人会灘支部総会に出席して、楽しみにしていたOさんと「西郷隆盛論」を論じあった。もし… 西郷隆盛が現在に居たら、北朝鮮問題等どうなっているか論議した。

▲OさんとSさんとそのお仲間と
その最中に一本の電話があった。ある議員から、住吉川の上流で猿を見たとの事。私に「見た事あるか?」との電話であった。私が「見た事ない」と答えると、彼は「綺麗な猿だった、感動した」という。

▲元代表とバッタリ

彼もいい議員だが、いつまでもアジテーターでなく、市民と苦労して、作品を作り上げる喜びや、黒子の楽しさを感じるようになると、元々持っている良い感性と相まって、いぶし銀のような議員になるのだが…と、実は直接言った事もある。

▲島の踊りを満喫
でも、こんな事を電話してきてくれるほど仲良くなってきた事は、素直にうれしい。私も、兄貴のような存在になってきたのだろう。謙虚に、謙虚にやらなくてはと心した。

▲難病の会で意見する

それに先立つ午前10時から「神戸市難病団体連絡協議会総会」に、敬愛する山口議員と共に出席した。当局に提出するような資料を出すだけでなく、議員という道具を使う為に、要点をしぼって訴えて欲しいと、逆に注文をつけて失礼した。


午前11時からは「住吉中学校野球部OB会33周年」と「重度心身障害者(児)父母の会との交流30周年」の祝賀会に出席した。


▲桂宗助さんの落語
落語家の3人が呼ばれていた。桂わかば・笑福亭瓶太・桂宗助。お三方とも、うまかった。思えば震災の時、わかばさんと瓶太さんは、仮設住宅でボランティアをして下さったその時、私の友人の仮設住宅を、衣装を着替えに一寸お借りした。翌日、二人でその仮設住宅を、酒を一本携えて訪ね、場所を借りたお礼のしるしとして置いていったらしい。友人は感動して私に知らせてきてくれた。やはりいい仲間には、いい人々が集まってくる。

▲ご挨拶

住吉中学校野球部OB会が、30年もの間、重度心身障害者の人々と、運動会・餅つき・だんじり等など、親交を深めておられる。共に歩んでおられる事に敬意を表すると共に、OB会の心の優しさを感じた。その運動のきっかけは、亡くなられた上田さんと私の相談だった。自分が望まなくても、人類という生物は一万人に一人の割合で、障害者がでてしまう。従って、皆で助け合うのが人類の義務であると言う事から、この運動が始まった。

▲ある方と懇談
ある障害者のお母さんが、「安井さん、私が死ぬときはこの子供を殺して死にます。この子供を残して行けません」と仰る。何と情けない世の中をつくってしまったのかと、私は返事のしようがなく、うなずくだけだった。