廣津雲仙先生は、長崎県からこの神戸の地に来られ、御影でお宅を構え書道に没頭し、日本でも3本の指に入る書道家として名を馳せられた。すべての神事が終わり、来賓の神戸市長矢田立郎氏が「廣津雲仙先生が生前、書道を通じて神戸市の文化向上に尽くして下さった」とお礼を述べ、「日本を代表する墨滴会(雲仙先生が興された会)が益々発展して欲しい。また神戸市も今後更に文化行政を充実させていく」と語った。その宣言は、全国から集まった書道の指導者に感銘を与えたに違いない。
▲ ご挨拶に立たれた久子夫人
「凄い人だったのですね」とおっしゃったので、私はすかさず
「そうですよ。市長も雲仙先生も私も御影ですからね。御影には凄い人がいますよ」と談笑した。
▲ 事務所に飾っている必勝の文字
500人の書道家、来賓がバスとタクシーで移動し、ホテルオークラでの祝賀会では、まず民主党の副代表の石井一氏が、自分の書を雲仙先生に見ていただいて「これはこのままで結構です」と言われたという逸話をユーモアたっぷりに紹介された。さすがと思わせる立派な挨拶だった。続いて、市民参画推進局長の永井秀憲氏から、雲仙先生の生前のご活躍 ─ 特に漢詩を統計的に書き上げられた事を高く評価した祝辞。よく調べてきておいでだった。その永井局長と読売新聞事業本部長の窪田邦倫氏と同じテーブルになり、最後まで意気投合し大いに盛り上がった。
私は、
「雲仙先生のお亡くなりになる直前、岱雲先生が雲仙先生の作品を地域へのお礼として、御影地区の小学校・中学校・区役所・公民館・消防・警察に寄贈された。それらは地域に大変喜ばれ、今も地域て生き続けている。身体を少し患っておられる岱雲先生をくれぐれもお守りいただいて、今後の墨滴会の発展をお祈りします」とご挨拶した。
気丈に振る舞い、来られた方々を一心におもてなしされていた廣津久子夫人は、まさにあっぱれ。事務局の小林逸光氏の、この会を成功させようとする8ヶ月にも及ぶ準備が実った、良い会だった。
Yasui が 20:22:23に分類 神戸の文化・スポーツ で書きました。