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2009年 06月 13日 土曜日

今日は、10時30分から深江本庄村の戦没者慰霊祭に出かけた。墓地の一角 ─ 毎年春に見事な桜の咲く場所に… 忠魂碑や慰霊碑が並んでいる。阪神淡路大震災犠牲者の立派な慰霊碑もある。

大きな忠魂碑の脇には、「国を思い、故郷を愛し、家族を慈しみつつ散華された旧本庄村出身戦没者殉国の英霊」401名(日清戦争3・日露戦争11を含む)の名を刻んだ銘碑がある。今日はその401の魂を祀る祭典で、30名が参列。参列しだして10年になる私も、心を込めて焼香した。
写真 忠魂碑前での慰霊祭など
参列者の中に、83歳のMさんがおられる。第二次世界大戦時、満州で捕虜になった。列車でロシアに送られる途中、5人の仲間と列車から飛び降りて脱走を図ったけれど、屋根から機関銃を乱射された。4人はなくなったが、Mさんだけが助かった。歩いて中国を横ぎり朝鮮に向かう途中でまた捕えられたが、捕まったのがなんと蒋介石の軍。再び軍に入って戦ったものの、敗戦。再び歩いて朝鮮に入り、苦難の末に日本に帰国。それからも苦労の連続だったそうだが、それでも、Mさんは誰も恨んでいないという。私は、Mさんのお話しをいつも興味深くうかがっている。お元気なうちに録音しておきたいと思っているものの、未だ果たせずにいる。

それにしても、こんなにも長く戦没者を祀る深江の人々は、やさしく、大切な事を忘れない人々だと、感銘をうける。

写真 愛猫の毛作
閑話休題。祭事後、私の好きな猫の「ピョン」(韓国名─この名前はピョンヤン放送でチョゴリを着てアナウンスする女性に似ているところから。日本名は、読書中に拾ってこられたので「毛作」と名付けた)が待つ自宅へ一旦戻る。
写真 毛作と同衾
我が家へやってきて以来6年。いつも私の帰りを待ちわびていて、家に入った途端、横になってお腹を撫でさせる。キスをして、あれこれ話す。実は、夜も一緒に寝るのだけれど、早起きなのは私のほう。毛作を起こし餌を与えてから、中山秘書の運転で事務所に出る日々なのである。

今夜は7時から鹿児島県人会。同会には、Oさんという西郷隆盛研究家の方がおられる。いつもながら、また興味深いお話しがうかがえるのではと思い、明るいうちだが、待ち遠しい。