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2010年 09月 01日 水曜日

大阪高裁で、8月27日に住民側の請求を棄却する判決が下された件について、一昨日書いた。我々神戸市議会与党会派が、市長らに対する請求権を放棄するとした条例改正案を議決したことについて、批判が高まっていた昨年… 新聞社に出そうとした、「外郭団体に派遣した職員の人件費を神戸市が支出したのは違法として、市長個人に対し返還請求するよう求めた住民訴訟」についての私の見解をまとめた文を、ここで発表する。

 平成21年11月27日住民訴訟が勝利したとされる、大阪高裁の判決があった。大阪高裁の判断について、画期的とも予想外とも言われ、法曹界では二分した議論があったところである。この高裁の判決の理由について論じる事より、私の立場上最高裁の判決前に、私の属する神戸市会が平成21年2月26日本件改正条例を可決し、事実上神戸市長個人である矢田立郎氏に対して行われた、損害賠償請求を無効とした事及び、被訴訟である外郭団体の不当利得返還請求も同じく無効とした事の議決に対して批判が相次ぎ、賛成した議員に対する相当な圧力がかかった事である。

 批判の理由の一つに、最高裁の判断を見た上で、仮に敗訴が確定し債権回収について地方自治法の議会の権限としての対応をするべきとの論があるが、私の観点は、最高裁の判断を待っての権限の行使は、議会が市長の賠償訴訟への救済のみの権限行使との観点が重くなり、議会の独自性と正当な判断が理解されにくい事になりえたと思い、最高裁の判断の以前の方が正当であったと主張する。

 次にこの件に対する判断は、まず住民訴訟が本来持つべき観点の中で、社会正義を訴え住民の利益を要求する為の監視役としての機能を有し、今は十分な議会制民主主義を支える為の重要な機能を有しつつあると信じている。

 しかし、今回は正義の為の摘発はあっても、この件に関して市長個人への損害賠償まで控訴した事に疑問を感じたものである。また、大阪高裁の判断が市長個人への損害賠償請求を認めた事は、地方自治体の行政機能に対する司法の過剰判断ではないかと思っている。この事は今後の地方自治を執行する者にとって、重大な影響を妨げる事はできない。

 つまりこの件に対し、高裁も認めているように神戸市が外郭団体等に支給した給与が、補助金または委託料として支出した事が、派遣法6条の脱法行為として違法となったもので、ある意味で手続きまたは錯誤によるものである。従って、矢田市長の故意でもなく、市長も一銭の利得も得ていないのである。同様に、市民が損害を受けたものでなく、不当利得及び悪意は無いとの判断を私はしているものである。ならば、矢田市長個人の責任に帰着するような結果とするべきでなく、本件のような48億円を請求する事は、社会的相当性にも欠けると判断した。

 従って三権分立の中で地方議会として、事実上調整するべき立場であり今後の地方立法機関の議会として行政機関への過剰な介入は、過視するべきでないとの判断をした。私は、地方自治体における住民意志の最高決定権者である議会人として判断したものであって、決して住民訴訟を「なし崩し」をする思いは無いと判断する。

 確かに国の地方制度調査会で、住民訴訟の議会の判断についての議論がある事は承知している。しかしこの件も、いろいろなケースによって判断されるべきものと思う。違法行為の量刑及び損害等、諸条件を考査した事も必要と考える。今後の地方議会において、本件により債権放棄等の権限を行使するか議論がなされる事を求めたい。