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2010年 08月 11日 水曜日

ご存命なら日本最高齢125歳だった方が、神戸市民だったとは…昨日当局から届いたファクスに説明があった。あらかたは新聞・テレビなどメディアが報じる通りなのだが、驚いたことに、その125歳の女性が住んでいたのは、実は… 東灘区は岡本にある、桜守公園の敷地内だったのだ。

当地の民生委員の方が今朝のテレビでインタビューされていたが、そっと寄り添っている御主人の姿に優しさが出ていたのが嬉しかった。この御夫婦は、良く地元の世話をされ、地域の信頼も厚い。もしこの民生委員さんを批判するなら、私が代わりに戦いたいと思う程だ。また、この公園と私の縁の深さにも驚いてもいる。

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▲ 春の桜守公園、観桜会で

公園は、笹部新太郎という世界一の桜の研究家の屋敷だった土地。私が議員2期生の頃、その笹部さんと近所付き合いされていた、古山さんや松澤さんという方から「遺言で桜の研究した文献、屋敷、土地が西宮市に持っていかれそうなので、何とか地元に残して欲しい」との訴えをお聞きし、すぐ当時の宮崎市長に相談した。市長は早速、手を打ってくれたが、すでに大切な文献は西宮市に持っていかれていた。残された屋敷に足を踏み入れて感心したのは、例えば床柱。桜の木の浮かし彫りになっていて、ライターの火であぶると桜が浮かんでくる。それ程、凝った屋敷だった。屋敷と土地は笹部さんのご遺族との交渉の結果だったと思うが、神戸市が買収した。

笹部さんは、社交界の花といわれた梅子夫人と離婚後、岡本にきて一人暮らしだった。もっとも、尊敬を集めておられた笹部さんのことだけに客人も多く、お世話をされていた上品なお手伝いさんがいたと聞いている。私がその話しを聞いたのは、松澤さんか古山さんからだったと思うが、残念ながらお二人は他界されてしまった。お二人も、とても立派な方だった。松澤さんは70歳になって書を始める程意欲的。古山さんは今は公園になっている場所の南側の洋館をリクルートがマンションにする計画をたてていると知って、当時の財産区の山本さんと古山さんと私で、銀行に融資をしないように掛け合うなどして、公園を守り、拡張するためにご協力下さった方だった。ともあれ、お二人亡き今となっては、お手伝いさんがその後どうなったのかなど、知る由もない。

私の勝手と言われるかも知れないが、世界一の桜の文献を持っていった西宮市も、笹部さんの御厚情だけでなく、身の回りにも少しは気を配って下されば、嬉しかった。きっとそこまで頼まれてませんと仰るだろうが、私が「文献を地元に返して欲しい」と西宮市の助役に交渉に行った時「安井先生、あれは人類の宝物で、御覧になりたかったらいつでも西宮市に来て下さればいいのです」と言われ、コケにされて帰ってきた無念さが、今も残っている。当時の宮崎市長もその後、東灘区長を厳しく叱責した。「年に一度くらい表敬訪問していれば、こんなことにはならなかった」と、私も残念に思う。

そんなわけで、あの悔しさがよみがえってきてちょっと脱線したけれど、この高齢者問題については、もう少し追跡してみたいと思っている。


[ 2010年8月18日追記 ]   その後の調査で、笹部邸の落成は1960年だが、不明のご高齢者はそれよりもずっと以前から住民登録されていたことが判明。真実には近づいたのだろうが、謎は、より深まってしまった。