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2010年 08月 03日 火曜日

三菱重工業(株)神戸造船所再編問題相談窓口の設置について、去る7月27日、産業振興局の谷口時寛局長から報告された。三菱の神戸造船所で、海上自衛隊の潜水艦の造船以外の部門が、2012年6月をもって長崎か下関に移ることについて、神戸市が相談室を作ったのだ。

担当者によると…
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影響を受けるのは、まず造船所内の下請け40社で、約700人。更に、造船所以外の150社程も、影響を免れ得ないと思われる。所外の会社には三菱以外の会社と縁があって影響が軽微で済む所もあるが、40社の700人については、何とか協力が欲しいものだと思っていたら、三菱の神戸造船所は意外と原子力に強く、随所から原子力発電に伴う注文があり、売り上げの7割を占める程の技術を保持しているという。その強みを活かし、その40社についてはもとより、所外の150社についても、できる所から業種変更なりで対応してくれるそうだ。

ところで、この件から、私は2つのことに思いを馳せていた。

1つは、神戸発祥の「鈴木商店」。日本をリードする大商社だったが、台湾政策で崩壊する。あの時点で、市なり、県がテコ入れしていたら、世界に冠たる商社が同じ神戸市兵庫区にできていただろう。名番頭として著名な金子直吉氏の直系の方々にお世話になっていた私は、つくづくそう思う。きっと宮崎辰雄市長なら、やっていたかも…

2つ目は、造船部門が中国と韓国に行ってしまったのは世界の時流と平気で言っているが、三菱や川重の優秀な退職技術者が、中国と韓国に再雇用され、その技術が渡ったことへの反省。思えば15〜16年前、それを心配する声は、良く聞かれた。が、当時の政府は、何も手を打たなかった。これは、自治体では抗しきれない事だ。やがて、技術が流れ、世界のものづくりは移動するにしても、今回は早すぎる。あの時に手を打っていれば、神戸造船所は、まだ20年は健在だったのではなかろうかと思う。

それにしても、三菱が2年先のことについて神戸市に足を運んでくれてたのは、立派。さすがは名門企業、三菱。これを受けて対応した市も立派だが、きっと、不安に思っている人も多いだろうから、どうか、相談に来た会社や人をたらい回しになどせず、実直に応じて欲しい。
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