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2010年 07月 30日 金曜日

神戸市の文化財に指定されている旧乾邸。その、明治・大正・昭和を駆け抜けた三代続いた男たちのロマンの証について、昨日、市民参画推進局文化交流部から… 報告を受け、説明を聞いた。

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土地3868.68m²(約1,170坪)。昭和11年頃に竹中工務店が建設し、文化財指定は平成21年2月24日と平成22年3月19日。平成8年3月に、物納申請許可で国の所有となり、しばらく国から市が借り受け、大切に使いながら市民に開放し、地域に愛されてきた。

しかし、国が平成20年11月に、建物保存を前提に一般競争入札で売却することになり、昨年の11月に、当ブログで市が落札するよう書いた。そんな私の思い入れに応えるかのように、見事に落札してくれたのだが、その後、どのように使用するか、方向を当局が検討していたのだ。

そもそも、1代目の乾新兵衛は酒造業を続ける傍ら海運業にも乗り出し、日露戦争から第一次大戦に続く時の気運に乗って、一代で巨万の富を得、財を成した。2代目の新治は、一代目の築いた恵まれた富を背景に、ハイカラ・モダンと言われるような、多趣味な近代的教養人として名を馳せ、仕事以外の人脈も豊富だった。そんな人脈の一人が、建築家の渡邊節。かくて、この邸宅に惜しげもなく費用をつぎ込んだのだった。

3代目豊彦は養子だったが、養父の急死で33歳で乾汽船の社長となった。彼は太平洋戦争を乗り越えたやり手だったが、同時に、戦後の貧しさの中にあっても「広野ゴルフ場」の再建に尽くす無類の趣味人でもあった。私は是非一度、仲間と見学したいものだと思っている。

市は今回、地域のために、婦人会・自治会・まちづくり協議会など善良な団体や、神戸市のために活躍する神戸フィルムオフィスなどに、今まで通り無料で使用させようとしている。

経緯からすれば仕方のないことではあるが、何回か使われている場に行ってみて、正直、眉をひそめることもあった。バザーと称する物品販売や、子どもが駆け回る中での飲食など、できれば他の、公民館やうはらホール、御影公会堂でも使ってくださればがありがたいのだが、と感じたのだ。どうか、お願いだから、お貸しするにあたっては、神戸市には十分熟慮検討した上にして欲しい。歴史観あって市の文化財だ。その意味を理解し、感じ、活かして使って欲しいものである。