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2010年 07月 13日 火曜日

[昨日の続き] 「”中山成彬”元文科大臣が来ているので励まして欲しい」と、親友のH君から電話があり、中山恭子現参議院議員御夫婦とお会いした。私は、ながいお付き合いの、お二人とも東大卒・大蔵官僚として日本のために働かれた、官僚らしくないこの御夫婦が… 好きだ。

彼は、文科大臣当時、日教組を激しく批判して辞任。しかし、この言論は産經新聞の正論に取り上げられ、大きく報道された。私は、この紙面を議会の机のガラスの下に挟み、毎日見ている。それほど、彼の勇気が好きだ。彼は地元の県連から支持されず、”たちあがれ日本”に身を寄せ、今回の比例での立候補となった。彼は私の立場を理解して、決して応援してくれとは言わなかった。

25年以上の親しい付き合いで、多くの苦労を共にされ、思い出も多かろうに…。特に、恭子夫人。上品で控えめな方でこの小さな女性が、かつて、北朝鮮に拉致された曽我ひとみさんとジェンキンスさんをジャカルタで会わせ、外務省の反対を身を張って振り切り、小泉総理に直訴した。「今、北朝鮮にジェンキンスさんを返すと、一生帰れない」と、強引に二人を日本に連れ帰った、あの強さ。日本の女性であると、私は拍手した。

そんな彼女が言った。
「今は日本の危機だ。菅は危ない。中国にこびすぎる。今、中国人がどれぐらい日本の山、ダムを買っているか。官僚の中には、密告制度すらあるらしい。恐怖政治になる可能性もある」
と。

自民党時代はもっとおおらかだったのに、今回特に「菅はいけない」と。成彬氏は、日本のため ─ 愚直にも日本の危機を訴えるために立候補したのである。私は静かに聞いていた。世間では「あっそう」と一笑に付されるのかも知れない。彼は、それも分かって言っている。まさに、玉砕覚悟で立候補しておられるのだ。恭子夫人は
「この人が『日本が危ない』と言うものですから、ついて行きます」
と仰った。成彬氏は一言
「妻がついてきてくれて、うれしかった」
私は、やっぱりお二人が好きだ。でも、私の票は”片山さつき”だった。

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不思議なことに、この文章を書いている今、中山恭子参議院から電話が入った。
「残念ながら、負けました。いろいろご心配をおかけして」
と、声は明るかった。私が「成彬さん今後どうするの」と聞くと、「分からない。私も、おそらく自民党を出されるでしょう」。

私は情けなかった。夫婦ではないか、主人が離党して、それを応援したら自民党を出されるのか。夫婦で主人のことを宜しくと言ったら、党規違反なのか。彼女が自民党に尽くしたこれまでの功績は、そんな軽いものなのか。私は、市会議員の端くれとして党に抗議したい。我が党には、もっと情があったのではないか。政治の世界は毎日変化している。また御夫婦とともに働ける時が来るかも知れないと約束し、電話を切ったのが、午前10時51分。私にとって忘れがたい出来事となった。