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2010年 06月 08日 火曜日

西崎敬四郎先生が他界された。右も左も分からない時に、私の手を引くかのように助けて下さって以来、私が困ったことや、悩んだことがあった時、相談に行くと優しく指導して下さった兄貴のような人で… 心から敬愛していた。

政治力学の中で、会派から一人で選挙に挑む事になった時、心配して、故藤森万也議員、平野昌司議員、荻阪伸秀議員が相談され、自民党席を持ったまま民主党の部屋で議員活動を続けられるように取り計らってくださった。今思えば、良い時代 ─ 信頼関係が大切にされていた頃の処分だったと思う。以来今でも、これらの議員とは利害関係抜きの友情を持ち続けている。が、そのことは世間では違っていた。

特に東灘区医師会では「民主党の軒先を借りるなんて、けしからん」と仰る。当時民主党は野党だったので、医師連盟での推薦に問題があるとなり、詰問を受けた。私は、なぜ自民党に籍を残しているのかについて、一人で仕事するのは難しいと説明したが、ご理解いただけなかった。本当に悲しかった。

その時立ち上がって下さったのが、西崎敬四郎先生だった。先生は仲間の医師にお電話され、私の立場をご説明くださるとともに、医師会として必要な議員であると強調して、お助け下さった。当時、ともに動いて下さったのが、岡野安雅先生、中村益啓先生、市橋大先生だった。本当にうれしかった。それが、医師会にとって絶対に役に立つ議員になろうと決意したきっかけだった。

そのようなこともあり、当時、東灘区医師会長でおられた川島龍一・現兵庫県医師会長との信頼関係もできた。以来、医師会の代弁者として議会で発言を続けている。例えば、介護保険制度については医師会に代わってこの制度を解説し、問題点を指摘できるぐらい研究した。

もしあの時、西崎先生が立ち上がって下さらなかったら、今日の私はあっただろうか…先生には、本当にお世話になった。恰好良い、素敵な男だった。

今日は、式場で男泣きして「先生、本当にありがとう。仏様、どうか私の思いを西崎先生に伝えて下さい」とお願いした。思えば、わずかな人生の中でも決して、忘れてはならない人のお一人。心から、ご冥福をお祈り申し上げたい。

合掌