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2010年 06月 03日 木曜日

神戸市の大切な台所、神戸東部中央卸売市場に挨拶に行った。市場協会の三野玉三郎会長とは2ヶ月ぶり。82歳となられた今もなお若々しく、相変わらずお元気で、小一時間ほどゆっくりとお話しできた。氏は昭和44年11月の開設以来市場におられるので… 東部市場の生き字引のような方である。

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▲80歳を過ぎてなお、ますますお元気
その昔、会社の人事で、当時の助役と市の担当弁護士、関係局長を相手に渡り合い論破された。これは、東部市場にとって大きな分岐点になった。役人は決して忘れておらず、震災で見せた対応は決してプラスではなかったのだ。震災後すぐに東部市場の北側を廃材置き場として使用したために、ダンプが集中し、商品が搬入できず、商人も買いに来られない。そんな危うき事態に私が呼ばれ、当時の田渕助役に直訴。消滅寸前の東部市場を存続した。

今も
「田渕さんのおかげで、市民に食料品を届けることが出来た」
と、感謝している。震災直後
「建物が危険なので取り壊す」
と市に立ち退きを要求された時には社長室に籠城。東部市場を守るために
「機動隊を導入しない限り動かない」
と宣言された。また、全国の生産者に「東部市場に送っても消滅しているのではないか」と思われたらしく、見舞いと称して探りにくる生産者までいた。そこで、机に現金を積んで東部市場の力を誇示された ─ そんな、男気のある方だ。

さらに、東部市場を守った人で忘れてはならないのが、当時の水産卸売協同組合の山﨑明義会長と、青果卸売協同組合の後藤博行会長だ。どなたも、東部市場を守るため、市民の食料を守るため戦い続けられた。震災の頃が東部市場の歴史上大切な時期であったのは、言うまでもない。

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▲いつも笑顔の村上義国氏
水産卸売協同組合の現会長、村上義国氏とも20分程お話しした。元オリンピックの水泳選手で、将来の村上水産を背負って立つ優秀なご子息を亡くされ、本当に辛かったと思う。が、今や年収29億、神戸市で一番の魚屋さんだ。陰には、若い頃から二人で商売に励み、借金を返してこられた奥様の存在がある。。今日も御夫婦揃って、笑顔でお迎え下さった。

突然
「この頃東部市場に泥棒が多くて、この前も、約70万円相当の魚を生簀から盗まれた。私ら商売人は、一万円貰うより一万円の商品を買ってもらう方がうれしいんです」
と仰る。私も、元は商売人の子であり、さらに昨日今日の”にわか市場議員ではない”と自負していて、思いは分かる。犯人が早く捕まると良いのだが。

いずれにせよ、男冥利に感動し、勇気が出てくるような、そんな皆さんのお話しを、いつか東部市場史のような形で記録に残せたら、と思っている。