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2010年 05月 10日 月曜日

日朝友好兵庫県民の会第3回総会に初めて出席したのは、去る5月8日。総勢100人は越えようかという人々が集った兵庫県人権会館は刺々しい雰囲気なのかと思いきや… 大ハズレの明るい雰囲気。

但馬の日朝文化交流の足跡を訪ね歩いたり、朝鮮の”食・飲文化”を学び楽しむツアーで大阪の鶴橋に言ったり、日朝交流お花見の会を宇治川公園で催したり、懸命に兵庫県下の方々と交流を深めるなど、相互理解を進めるべく努力されている活動が報告されていたが、もちろん、そればかりではなかろいう。しかし、面と向かって聞きづらいこともある。

私の学生時代は、まだ反日の時代。北朝鮮ではなかったが、韓国のソウル大学で行われる討論大会へ、日本代表として訪問したことがある。ソウルの市民や学生から日本人が行った蛮行を批判され、幾度か謝罪を要求されたが謝罪せず、平行線の共同発表となった。38度線の板門店に足を伸ばした時には、
「朝鮮民族はここで南北に引き裂かれ、中には兄弟・親戚・恋人が死んでも会えない運命にある」
と聞かされた。今までつながっていた南北の鉄道が切断された、そのレールの前に立った時、私の心は痛み、悲しんだ。

当時、それまで主張した事が、本当に相手の立場を考えた上でのことだったのか。また、この事態に日本は全く責任がないといえるのかと、深く思いを巡らせたのが思い出される。その時私は「いつの日かこのレールが結ばれるなら、もう一度この場に立ちたい」と決心した。

昨年、再びそのレールの前に立った。美しい駅舎ができて、外観上は出来上がっているのだが、まだ、レールはただの鉄でしかなかった。列車が走らず、錆び付いていたのだ。この民族は大変な宿命を背負っているが、懸命に頑張っている。ある時は”日本に追いつけ追い越せ”をエネルギーに変えて、前進している。本当に立派である。


▲朝鮮学校の無償化が主題
この会は韓国ではなく北朝鮮で、少々事情が違う。が、日本に来て我々と同じ地に住んでいる人々は、大差なかろう。

総会の主題は、政府がやろうとしている高校無償化から朝鮮学校が除外されることを心配して、無償化の対象にするよう要求する運動についてで、大々的に展開すると決意された。その請願署名の訴文中に、
「今から82年前の関東大震災の際の『朝鮮人が襲撃する』などのデマで、日本人の自警団が6400名の朝鮮人を虐殺した。しかし阪神大震災では、朝鮮人学校に避難し助け合った」
とあった。

確かに、そうだ。私にも多くの韓国・北朝鮮の友人がいる。関東大震災時、朝鮮の人々が受けた恐怖は聞かされてた。朝鮮人であることが悪であったとも聞かされていた。朝鮮人であるから差別するのは、何か違う。彼らとは、民族は違えども同じ人間。日本で幸せに暮らして欲しい。同じ地に住む者として、これからも助け合っていかねばならないと思ったのだった。