▲心打たれた壮絶な人生談
「平穏な暮らしをしていたが、癌が発見され、二人の医者から余命5ヶ月〜7ヶ月と宣告された。一日いちにちを大切に、身辺整理をするよう勧められた。悩んだ末、根本教会長に相談し、自分の余命の生き方を決定した。そして、この60周年まで生きて説法させて欲しいとお願いした」のだそうだ。教会長は、他に予定者があったが、木ノ下氏にお願いすることにされた。さらに
「毎日まいにち、人様のお役に立てるよう、最後まで淡々と生活し続けていく。そうして、この日のために体力を温存し頑張り続けて、12ヶ月生き続けた」と、元気な姿で、なんの嫌みもなく、恨みもなく、澄み切った心で自分の心境を語ってから、
「皆さんに、家族・社会に、そして教会に感謝し、自分は生きながら仏になる」と宣言された。この意味は、生き仏になる意味ではなく、日々仏に近づくよう努力することである。万来の拍手であった。私も、心から拍手をした。
来賓で挨拶に立った井戸知事も、その勇気と素晴らしさに敬意を表し、
「生命が誕生して人類になるまでの36億年の歴史に比べ、私たちの一生は、一瞬よりまだ短いかも知れないが、命を大切にする ─ それは、一日いちにちを大切にすることだ」と話された。
最後に、根本教会長から
「宗教が、争うことなく、人類の平和のために役立っていかねばならない」との言葉があった。全く、その通り。なぜ、そんな簡単で当たり前のことができないのか。未だに、宗教戦争ともいえる民族間の争いが絶えない。しかし、この立正佼成会は他の宗教を排除せず、すべてを受入れて人類の平和に向かって努めておられる。
その運動の一つが、世界宗教者平和会議の「アームズ・ダウン」と言われる核廃絶運動。私も、微力ではあるが参加しようと思っている。