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2010年 03月 07日 日曜日

私の地元の御影市場、つまり阪神御影駅の高架下の市場が誕生して90年になった。神戸市に市場は数々あれど… 実際の対面販売市場として活動しているのは湊川と御影だけで、地元にとっては誇るべきこと。先月24日、その記念祝賀会へのお招きを頂戴したので、いそいそと出かけていった。

午後五時、会場の弓場会館へ。槇野紘男会長に市長に出席いただく件で、私が伝え損ねていたのだが、本会議前で前回幹部職員を足止めしていた立場上市長の出席は叶わず、代わりに小柴善博副市長にお願いした。市長の地元で何かとお世話になっているだけに、出席が叶えば良いのにと思っていたのだが、事情が事情だけに、納得。
「今まで市場が続いたのは地元のお陰。先代の努力と神の御加護あればこそ」とご挨拶を始めた私は「特に今年は御影クラッセを阪神御影駅のバリアフリー化案件の予算化があり、周辺整備も八割方出来上がる。残るは、駅南の自転車駐輪場の移転と長崎屋跡地問題だけ」
と、進捗を強調した。

さらに、
「かつて流行の商業コンサルタントが市場の名を消して御影旨水館などと改名したのを批判して、両名を使うべきと主張した市場側が勝った。御影市場は、今回のクラッセ進出でも受け入れを表明。本来、反対してもおかしくない立場から受けて立たれ、その度量を示された。結果、市場に出店が増え、新らしい市場として新聞・雑誌で報じられている。これも、秀でた指導者のお陰である」
と、その功績を讃えた。

悲しむべくは、90年続いたお店がないことだが、それほど、商いは変遷の激しいものなのだろう。それでも、市場は続いている。それで良いのだ、と思う。

御影で生まれ育たれたお二人の方に記念品を贈呈し、90円セールも実施。今月21日には50kgのお餅をついて、地域の皆さんにお配りする予定だそうだ。様々に工夫を凝らしながら、市場は生きて行くのだろう。私の死後も、ずっと。それが、組織というものである。