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2010年 03月 01日 月曜日

チリ大地震による津波の心配が無くなって、ホッと一息。地震後の治安やチリ政府の対応が気になるところだが、日本政府が医療チームを派遣することを明らかにした。まずまず、早い対応だと思っているが、そんな、地震による津波も脳裏を離れない、昨日午前10時。名物の梅の花を愛でようと…

▲30分前にも関わらず長蛇の列
東灘区岡本の岡本梅林公園の摂津岡本梅まつりを3,000人を越える方々が観梅に訪れた。毎年、開園前から長蛇の列。先着1,000名の方に美味しい甘酒が、800名には梅林パンが振る舞われるのも、人気の理由だろう。昨日はちょうど、若干標高もあることだし、海岸線から離れてもいただけたことになる。

運営に携わる岡本梅まつり実行委員会は、ほとんどが岡本交友会の方であり、大変なご苦労をなさっておいでだ。岡本交友会は、岡本の文化を守り、環境を良くするために立ち上がったボランティアグループで、時には寄席を設けるなど、人々に喜ばれる行事を催して、岡本の名、印象の向上に努めておられる。

一方、梅林公園は、かつて開発業者がマンションを建てようとしたのを、地元のドケチ教々祖、吉本晴彦さんを先頭に地区の人々や私が強力に反対し、頑張って阻止した土地。あれは、バブル最盛期の時期だった。反対運動で記者団に囲まれたが、その中のある記者から吉本氏が「反対しておいて、後で貴方が買収して儲けるのではないですか?」と質問され、烈火の如く怒った、その顔が忘れられない。反対運動の結果、神戸市が買収し梅林公園として整備。1982年に完成した。面積は4566m²。豊かだった神戸市の名残で、今なら考えられないことだ。

当時設計に当たった市の土木局の若い係長、赤松氏は「狭い土地に夢を乗せ、良い梅を集めて、梅の展示会場のようにしよう」と提案してくれた。私も賛同したその案の理想は、未だに生きてる。現在は33種類・155本の名木が集まっている。中でも見所は中央にある「飛梅」。これは太宰府に流された菅原道真を追って、京都の邸宅にあった梅が一夜にして太宰府に飛んだという伝説の「飛梅」で知られる太宰府天満宮から頂戴した、「雲井」という品種の梅で、紅白美しく咲いている。

そもそも、この岡本は「梅は岡本、桜は吉野。みかん紀の国、栗丹波」と語り継がれた対句でも知られている。豊臣秀吉の時代に食梅として養殖されたものが大きく広がっていったようで、雲梅のようだと記されているから、相当な広さがあったのではないだろうか。

そんな雲梅の観梅のための臨時停車場を、旧国鉄が明治30年頃に造ったらしい。その駅が現在の摂津本山駅になったと言われている。また、明治38年に阪神電車が開通し、阪神青木駅からの観梅ルートも整ったようだ。当時、本山駅と青木駅からの二つの観梅ルートには、露店が出て賑わったという。しかし、そんな景色も、昭和13年の阪神大水害や、第二次世界大戦。さらに、戦後はバブルによる宅地開発等で、すっかり姿を消してしまった。皆さんにそんな説明をしていると、平和はなんと大切なことであるかと、つくづく感じる。

来る4月3日には、笹部桜の岡本南公園、通称「桜守公園」での観桜会が控えている。私が桜について解説するので、皆さん是非お運び願いたい。