記念大会は… 同野球部竹内洋二部長の「これまでいろいろな方に支えられて、30周年を迎える事が出来た」とのお礼に始まった、挨拶。前監督であり、現在顧問の上田孝一氏からは、創部のいきさつや創部当初の野球部の思い出話。わずか6人で出発したことや、お子さんと一緒に来ていた高木氏に初代の監督をお願いしたこと。その後、やっと部員が20名になり、ユニフォームなしのチームが初めて試合に勝った感激を忘れていないこと、等など。目を輝かせ、身振り手振りで語られるその姿は、72歳の野球少年だった。
学校長の楠本喜紀氏は祝辞で「自分があるのは、少年時代に同じく少年野球をした経験である。自分が教師になったのも、その影響であった」と野球の素晴らしさを讃えられた。
▲多くの方々に感謝しつつ
- 少年野球の目標は、体力の向上と人格形成
- 30年前のあの年は、長嶋茂雄が巨人軍監督を退き、王貞治選手が引退、赤ヘル軍団の広島カープが日本一になった
- 30年間、コーチ他指導者がどれだけ自己を犠牲にして下さったか。しかし、この人々には市長の感謝状も出ず、まして天皇陛下から皇居に呼ばれることもない
- そんな、純粋な善意の人々の力で成り立っている
- このチームの一員であることを、誇りに思うし、これからも思い続ける
- 人の価値は、お金を持っているとか、いい服を着ているとか、或いは地位や学歴などではなく、いかに他の人々を愛することが出来るか、その人の考え方、生き様である
- 次の30年後は、私は地球上にいないかも知れないが、この真実は変わることなく続いて欲しい
と祝辞を述べた。私は、少年達と一緒に野球をしたいが、できない。だから、コーチや監督等指導者の方々、保護者の方々など、少年野球にたずさわって下さっている方々に、お礼を申し上げたかったのだ。
▲本当に爽やかな青年だった
「自分が今日あるのは、自分の知らない人々によって成り立っている。そのことを決して忘れてはならない。野球ができている幸せの陰で、どれだけの人々のお世話になっているか、また自分が今日あるのは、竹内監督との出会い、そして学校の先輩との出会い、様々なお陰であって、決して人との出会いを粗末にしてはいけない」と、自らを振り返って締めくくった。
私が、横に座っておられた楠本校長に、
「すごい、この若さでそれが本当に分かっているんですね」と語りかけると、校長は
「きっと彼は辛く厳しい練習の中で、学んだのでしょう。だからスポーツは素晴らしい」そう、彼の言葉は、どんな政治家の雄弁より心を打ったと思う。そう言えば、イチローにしても、石川遼君にしても、爽やかで謙虚ではないか。彼の言葉に、私も大きな宝を手に入れたのだった。
最後になるが、この大会を手作りで、展示物やスライドショーを始めとして、見事に計画・実行された、小山内実行委員他、陰で苦労された人々に心から感謝申し上げる。