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2009年 11月 24日 火曜日

またいずれと書きながら、昨日の続きで「ホスピス」のこと。某宗教団体には、附属の立派な病院があり、加えて「ホスピス」がある。我々親睦議員連盟の仲間一同は、その「ホスピス」を見学した。

一般的に「ホスピス」とは…

▲ホスピスの説明を受ける
例えば末期ガンで手の打ちようがない場合、ガンに対する治療より、治癒を目的にしながら、安らかに最後を迎える準備をするような、末期医療の場所である。

入り口では、入院される患者さんや家族の方々が先ず、仏像に面会するようになっていて、驚いた。仏像の前に立った私が「そんな…縁起でもない。もう貴方は亡くなりますよと宣言するようなもので、患者さんご家族はショックを受けられるのではないか」と心配したその時、医院長から静かな声で「この仏像をどう思われますか」と尋ねられた。


▲お釈迦様の前
医院長は
「患者さんに同じ質問をすると『あの仏像のふくよかな手で傷を治して欲しい、痛みを和らげて欲しい』というように答えられる」
と仰る。そこで
「私達はそのお手伝いをするのです」
とお答えになるそうだ。

私のように縁起が悪いと言う人もいるそうだが、医院長曰く
「そもそも縁起とは何かと、考えてみて下さい」。「我々はお釈迦様の手の上で生きている ─ そう思えば、生まれて三日で亡くなっても、その新生児は元気で、一気にお釈迦様の手の上を走り切ったと思えるのではありませんか。生ある者は、すべて手の上でなくなります…長短はあっても」
私は納得した。

▲こうした考え方を導き出された開祖様
「初めは抵抗感があっても、そのうち、車椅子で一人黙って仏像の前に来る患者さんがたくさん居られるし、家族の人も黙ってお供えをしている」
という。
「貴方は、医学者としてその効用を認めますか?」
と尋ねると
「ハイ、そう思っています」
と、明解そのものの答え。
「私達の病院は仏教を中心にしてやっています。決して押し付けてはいませんが、基準はそこにあります。看護婦も、宗教法人の看護学校の出身者とボランティアでやっています。ここの看護婦は優秀で、モノ言わない患者さんが何を欲しているか、目で分かるそうです。看護婦から多くを学んでいます」
と、病院スタッフ側での効用もあると解かれ、
「この病棟の建設にも、看護士の意見を多く取り入れています」
と付け加えられた。

医院長が、人間の最後を迎えるに当たって、仏の御心に抱かれて行く事を懸命に願っておられる事を知って、私は素晴らしいと思った。

医院長は「家族が見送る事が大切」だと仰る。
「この病院に入院されて、平均2~3週間でお亡くなりになりますが、全力を挙げて満足されるようにしています」
と言う医院長に、私は尋ねた。
「今、世界の中には、宗教を認めない国や政党がありますが、どう思いますか?」
答えは「残念な事ですね」。私も、これは同感である。

私もいずれ、ホスピスにお世話になる日が来るだろう。だが、その時はやはり、宗教色のあるホスピスに入りたいと思ったのだった。