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2009年 11月 13日 金曜日

「古い書類を調べていたら、珍しい葉書などと文鎮が出て来たので、見て欲しい」と深江文化村の冨永さんからお電話が。早速、大切なものに万一のことがあってもいけないと、富永さんを紹介してくれた友人の西土井氏と共に、お伺いした。 ご存じのように、冨永邸は日本初のツーバイフォー方式住宅とあって、色んなな方が見学にこられる。かつて、大切な設計図を「すぐお返しする」などと言葉巧みに持ち帰った人がいたそうだ。冨永さんは、それも「仕方がない」とケロッとしておられるだけに、余計気の毒な気がする。


▲隣家の奥様に謝辞を述べる
冨永邸は文化財の指定を受けているほどだから、自ずと、貴重なものもあるだろう。今回は、川崎汽船の福川丸竣工記念の文鎮と、昭和13年に出兵した時皆さんから頂かれた餞別のお返しを深江村に寄付された時の、お知らせとお礼状だった。昭和13年と言えば、私はもちろん生まれていない。まさに日本の軍国主義の最中で、餞別があり、そのお返しがあった。日本の古い習わしの記録で、非常に興味深い。私は、できればそれは貴重なものなので、大学や資料館といった所に集めておいた方がいいと勧め、後は西土井氏にお任せして場を辞した。

冨永邸の隣家の奥様も、いつも親切に冨永さんのお相手をして下さる本当に良い方。ここには、近所の温もりがまだまだ、ある。私はその隣家の奥様に
「世界一の桜の博士の笹部新太郎も、岡本に居られた頃、お隣の古山さんが何かとお手伝いをして下さって、そのよしみで笹部邸跡地を公園できました」
とご説明し、やさしい気持ちにお礼を申し上げた。ご近所が良い方たちなのは幸せな事だと、つくづく思った。

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▲行政書士氏にご意見拝聴
さて、事務所に戻り、食通の小林さんを交え事務所のスタッフで、美味しくて安い食堂で昼食を取った後、信頼している行政書士氏に「日本生まれの韓国人と朝鮮人及び中国人・台湾人が日本に帰化する事」について、帰化の手続きが難しいかどうか、またそれら在日の人々の参政権の問題などについて学ぶため、ご意見などを伺った。これらの問題は、やがて再びクローズアップされる時が来るだろうから、時間をかけて慎重に、掘り下げて考えておきたいと思うが故である。