ふと見ると、かつて東灘区で戦った元議員のA氏。懐かしい顔に出会った。嫌いではなかったし、笑顔がとても良い方だ。今も元気で、反体制運動をしている。彼は市会議員時代、当落3勝2敗を繰り返した苦労人だった。私と同じ66歳で、なお元気で戦っている。ビラの内容は「空港反対」・「市民は市長を不信任」と激しいものだった。彼は日頃優しく控えめだっただけに、その笑顔とビラの内容が合わない気がした。
彼が二回目に落選した時、ある葬儀屋さんに勤め弔問客の案内や下足番をなさっていた、その姿に心を打たれた。「自民党の議員でそれができるのは、自分ぐらいしかいないなぁ」と思った。と、いうのも、かつて私は父の料理店で長い間、下足番をしていたのだ。酔っぱらい相手のソレは辛かったが、落選しても食べていく自信はついた。
彼は、淡々と仕事をしていた。そっと彼の背中に手を合わせて、友人の葬儀会社の社長に「彼を雇って下さって、ありがとう」とお礼を申し上げた。かくて、次に当選。震災では彼の家は全壊したが、彼は人々のためにボランティアをして、新聞でも報じられていた。彼は「ボケてしまってね…」と言っていたが、決してそうではなく、今も立派な闘志を抱いているのだと思う。「またね」と言って別れた。いつまでも元気でいて欲しいと祈った。
今日も雨が降り続いている。事務所のスタッフが、月に一度は仕事を入れず、雑務がこなせる日を作ってくれる。今日がその日に当たったのだが、昨日の事もあって、雨空を見上げ、あれこれ思い出した。
▲議員職の舞台、議会や委員会
もう一人思い出すのは、灘区の女性で、いつも帽子をかぶって議会に来ていたC議員。いつか「本会議場では帽子を取るべき」との議論が巻き起こった時、彼女は「帽子は衣服と同じ。私に服を脱げと言うの」と言いはって聞かず、最期まで帽子をかぶっていた。
委員会で私が「公共工事の前払い制度の件で、ゼネコンが前払い分を市から受け取っていながら、下請けに回さず、その上、工事が終わってから100日の手形で支払っているがために、倒産した例や自殺者まで出ている」と指摘した事があった。建築業界のドンから「共産党みたいな事をやるな」と叱られたのだが、そんな帽子の彼女が「安井さん、私は感動して涙が出たよ」と言ってくれた。彼女は論理的ではなかったが、心の温かい人だったと思う。時々、阪神電車で会うと「お元気?」と声をかけてくれる。
党派を越えて、人柄の良い方がたくさん。しかし、選挙とは厳しく冷酷なものである。この戦いの中では、お互いを見つめ合う空間があってはいけないのだろうか…。雨で、つい感傷的になった。