Skip to main content.

2009年 11月 07日 土曜日

4. 今後の市政について、市長は市民感覚で望んで欲しい

この主張は、自由民主党神戸市会議員団としてではなく、あくまで私個人としての意見である。


与党議員の私からこのテーマを上げると、市長は疑問に思うかもしれない。きっと市長は… 「自分は市民の目線に立って、見ている」と思っている。が、例えば、良く色々な所を見て歩いたと言葉に出すが、それはジョギング時の事だったりする。また、いろいろな方から意見を聞いていると言うが、それは従来の市役所・区役所を取り巻く関連の機関からであったりする。確かにそれぞれに立派な組織・機関であって、市行政にとって重要な位置にある。しかし、それらは市民の中のごく一部でしかない。


▲市民は誰が市長か分からなかった
当初、即ち市長の応援ができていた9月頃、市長が我々自・公・民の議員と共に三宮センター街で「市長が皆様に市政報告をさせて頂いております」と言って市民の皆様に呼び掛けても、市民の多くが「どの人が市長なの」と言っていた事で、それが証明される。つまり、市民の多くは顔も名前も知らない人が多いのである。

これは、非常に重要な事である。立派な仕事をしているのに、市民には関係がなくなってしまっているのだ。加えて、市や区役所を取り巻く組織や機関についても、30年も同じで、メンバーは順送り。ほぼ同じ事を繰り返し、親しくなり過ぎて、市の立場を理解する事はあるにせよ、ややもすれば陳情・要望組織団体にしかずの傾向すらある。

そうした組織・団体は、市長選挙において少なからず市長を理解し、市長の手腕を評価している。が、しかし、こうした事を冷ややかに見ている多くの市民がおられる事を、知るべきだ。これが、私がここで言う「市民目線」である。

市長は恐らく観念的に、その事を知っているだろう。が、もう少し深く理解して欲しかった。例えば、私は少年野球のリーグの顧問をして30年になる。このリーグのリーダーや監督は、町の大工さんや運転手さん、会社員から主婦の方々まで、いろいろな方で構成さている。それらの人々はお金の事はさておき、すべて自腹を切り、大半の土曜日・日曜日・休日を使ってまで、子供たちの面倒を見ているが、一度たりと、市長がその現場を見に足を運ばれた事はない。

子供の為にグラウンドを探し、近所からやかましいと叱られながら、彼等は黙って子供を育てている。彼等は立派な納税者である。つまり、今回の選挙は、黙っている人々が変化を求めた結果が出たのであって、必ずしも対立候補が良かったわけではない。

ただ一つ、市長を支えたのは、現在の市政が決して悪くない事を、その彼等も知っていたからである。さらにいえば、市長の最大の理解者である市役所OB連も、市長が、市民の為に市政をよく運営している事を、一個人としても、市民としても「良」としたこと。そして、そのOB連が「バラ色の改革」をうたう風評の危機に本心から気付き、運動を展開したことである。そうした要素があったればこそ、かろうじて「バラ色の改革」をうたう風評から逃れ得たのである。

つまり、この選挙の結果から理解し、努めねばならないのは、市や区役所を応援して下さっている従来の組織・団体も大切にしつつ、もっと大多数の市民感情を理解する事なのである。