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2009年 10月 30日 金曜日

公務出張から帰ってみると、このブログへたくさんの方がアクセスして下さっているようで、恐縮している。恐らく、市長選挙の総括をご期待なのだと思う。以下は、あくまで私の意見であり、自由民主党神戸市会議員団の意見ではないことをご承知おきいただきたい。

3.次の市長候補は、市役所内部から出すべきではない

私は、長らく続いた「助役から、あるいは副市長から市長への構図」は、今回の選挙の結果を踏まえ、次ではほとんど無理であると思っている。この事は、簡単そうだが、なかなか難しい断面を持っている。それは「なぜ内部登用がいけないか」という問いに、必ずしも明確に答えられないからであり、また、それなりの成果も十分上がっていて、むしろその結果、市政が混乱せず、神戸市職員が市長に仲間意識を抱き、無理も聞いてきた経緯があるからだ。

その効力は、職員数の是正は言うに及ばず、特に震災時の、あの見事に統一された姿に見る事ができる。市民からは慣れ合いと受け取られ、新鮮さが薄らいでいった印象もあるかも知れないが、では、何故その体制が長く続いて来たのか ── 要因の一つは、議会との関係ではないだろうか。

つまり、自・公・民で市長を支える体制が、市長を選ぶにあたって共通して推せるのは、やはり副市長なのだ。その自・公・民体制が問題であるとの意見もあるが、これまた、何故悪いのかが、私には良く分からない。民主党小沢氏の言う相乗りが何故悪いのだろうか。現政府も、国民新党や社民党と組んでいるではないか。これを見ても、小沢氏による、自民党をよく知っての戦略。自民党地方議員の弱体化を謀るしたたかな狙いが読み取れるのではないだろうか。

神戸の自・公・民体制を私は、悪いとは思っていない。マスメディアでは批判されているが、それなりの役割を果たしており、何もかも市長の言いなりになってはいない。数々の修正を加えてきているし、議会軽視には厳しく応じてきた。

神戸港への核持ち込み禁止も取り入れ、議会の傍聴制も大幅に取り入れたように、野党だからと言って、すべての提案の排除もしていない。その意味では、神戸の日本共産党はなかなか鋭い主張をされ、それなりの役割と戦略を持った批判勢力と思っているし、そうした「少数意見の汲み取りこそ民主主義の根幹の一つ」である。

従って、自・公・民体制は決して悪い事ではないと思っているわけだ。内部での議論もかなり活発にしているし、平衡感覚も持っている。今まで大きな力を発揮し、空港建設や震災時における中央政府との対応では、むしろ神戸市議会の自・公・民で大きな役割を果たしてきた。旧社会党(民主党)の故・吉本泰男議員を中心に東京に張り付いたのは、自・公の議員仲間だった。多少の意見の差はあっても、市民を思う気持ちは同じ。その中で、議会からの提案として「医療産業都市構想」も出てきたのだ。

このような方式は、神戸が作った、神戸独特の議会安定策かも知れず、単独で議会内過半数を持つ自民党県会議員には分らないかもしれない。また、役職のタライ回しといった批判もあるが、これは、議会制民主主義の原則は数であり、全国どこの市でも同様だろう。委員長等のポスト任命は、公平に行われている。

しかしながら、こうした理屈が次回の市長選挙で通用するだろうか。もう飽きられてしまって、神戸を変えようとの声のほうが、耳に新鮮で明るく、バラ色の幻想が思い描かれるように変わってしまってはいないだろうか。だから、市民の皆さんに、我々が今までのやり方の利点がいかに大きいかを訴えても、聞いて下さるだろうかと不安なのである。市民の皆さんがそう望まれるなら、これまでの方式をやめて、民間から、あるいはテレビタレントや学者先生から、はたまた□□□・□□□から、選べばいい。それが良い方向に行くように、私も望みたい。

ここで、私は、議会人の一人として、市民の皆様にお願いしたい。

その場その場で人気取りをする政治的パフォーマンスの上手な劇場型市長は、カンフル剤のように一時的には有効かも知れない。しかし、その時、その瞬間は良くても、都市においては、粘り強くやらねばならないことが山ほどある。大切な政策・福祉 (生活保護・失業・ホームレス) ・治安 (麻薬等) ・災害 (地震・がけ崩れ・津波etc)、そして 産業の基盤整備など、いずれも地味で成果が見えにくいので、その方面に目が向かない首長が多いのだという事実を、良くお考えいただきたい。

背景を良く知り、吟味熟慮してこそ、深謀遠慮に立ち、小孫の代までの神戸に、今の私たちが担う責任を果たせるのだから…。