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2009年 02月 28日 土曜日

私はこの件について怒り、悲しんでいます。当局は耐震構造対策とよりよい教育環境を求めてとの大義を掲げ移転を計画し、議会に同意を求めてきました。

私はこの大義に異議を申し上げる訳にはいきません。しかし、当局の取った手続きがあまりにも身勝手で心が無い事に怒っています。

まず… 根拠となったのは「特別支援学校あり方検討委員会」で8回に渡り検討した結果となっているのですが、具体的には検討されていません。議事録を見ても皆無で、ただ、「現状より善くする為に、移転する事も考えられる」とした意見があっただけです。

この委員会に3人の保護者の代表が出席していましたが、最後の委員会昨年の11月18日にちょっと話があると言って、3人に移転を告げ、口封じをしたのです。3人は悩み苦しみました。そして、その事を他の保護者に話す事が出来なかったのです。

一方、移転先の兵庫区の集いの中で昨年11月、矢田市長自ら、菊水小の跡地に東灘区の友生養護学校が来る事を話したのです。それを聞いた兵庫区の平野昌司自民党団長は、市長がここまで言う以上は東灘区の人々は知っている事と思い込んでいたようです。が、当該の東灘区には知らされず、私が知ったのも今年の1月26 日です。

しかし、実に驚くべき事と感心をしたのですが、西区の山口由美議員が、8回の“特別支援学校あり方検討委員会"を傍聴していたのです。そして、知り合った友生養護学校の山本PTA会長から相談を受け、私に知らせてくれたのです。

私は怒って、すぐに当局に報告を求めたところ、今回の予算委員会に提案をするとの事で、明らかに情報を出さず検討の時間も与えず、膨大な審議の中で埋没させて可決させようとする事かと叱責したのです。

「もしそうであれば、友生養護学校の人々と東灘区民は決定した後で、『実は…』といった形で聞かされる事となる」と私が指摘したところ、当局は「とんでもない。私達が情報を出さなかったのは、予算の内示を議会にしていない時期に明らかにすることができなかったからです」と答えました。しかし、昨年の11月末に兵庫区では、市長が自ら語っているのです。

年が明けた1月中旬に山口議員から「友生(養護学校)が本当に兵庫区に行くのですか」と聞かれ、平野団長はハッと東灘区には何も知らされていない事を察知して、当局に対し、東灘区の関係者及び保護者には知らせるべきではないかと迫り、やっと、2月4日になって初めて、移転が保護者に知らされる事になったのです。もし、平野団長が言わなかったら、告示はもっと遅れていたと思われます。

一方、私の方には山口議員から知らされたのが1月26日、私が当局に問いただしたところでも、東灘区長に知らされたのは1月29日です。いかに当局が情報を出さなかったかが分かります。

普通の学校の移転でも、わずか40日で移転させるのは大変。まして、重度の傷害を持つ子供達の学校を移転するには、よりキメの細かい準備と話し合いが必要なのに、その手続きにおいて明らかに手を抜いていると、怒らずにはいられません。私は直ちに、心が通う東灘区の4人の議員の方々に相談し、われわれが煽ったり半端な情報を出さず、当局の2月4日の説明会の結果を見て、相談があれば対処しようということになりました。

その後、私の方には多くの保護者からのご相談がありました。各議員にも、それぞれの相談があったことだろうと思います。皆さん、驚き、怒り、戸惑い、どうしたらいいのか悩んでおられました。その思いは、私も一緒でした。この事が、相談にこられた方々には、少しは救いになったのかも知れません。

しかし、私は注意深く扇動しないように、いろいろな方向と方法を何回も時間を掛けて話し合いました。反対の為には移転反対の陳情・請願・座り込み・裁判・デモ行進・マスコミに訴える等、色々な策があります。しかし今、どうする事が子供達の為に、又、これから通う友生養護学校の将来の為になるか、静かに考える事にしました。その間、何回か山口議員も入っての話し合いを続けてもいました。

山口議員は、自らが障害者であるだけに実に的を射た意見を言い、兵庫区の菊水小学校に行って車イスで実際に登校をする等、献身的な役割を果たして下さいました。私達は当局批判を別において、与えられた運命とも言うべき突然の事態にどう対処する事が子供達の為になるかを検討しました。その結果として

  • 市長が提案してきた政策を与党議員である安井、山口議員とも反対をする事は、自ら選んだ市長否定となり与党議員でなくなる事から、移転に反対する事は難しい。
  • 仮に2人が反対しても、圧倒的多数は移転賛成となるであろう、反対しても移転を覆す事はできないと思われることから、移転はやむを得ない。仮に移転反対の陳情や請願をしても絶対多数で否決され、その後の保護者の意見が通りにくく、当局の思いのままになると思われる。むしろ当局はそう願っているかも知れない。

どうやら、当局が何をやっても与党は賛成してくれるとの思いあがりがあるのではないだろうかと、実に腹が立ちます。私達が与党であるのは、当局がより市民の為になり、親切で心の通う公正で明解な行政ができるようにと、信じているのに、今回…。

しかし、なんとか保護者の意見を反映させて、友生養護学校の今後の子供達に今なすべき事をしなければ、申し訳がない。勇ましいだけで玉砕するより、実質的な実利を取る事が必要ではないかと、いろいろ検討しました。しかし、あまりにも時間が無く、情報が少なかった。そこで、議会へ請願をして、今のところ移転すると決まっても最低3年はあるので、その間いろいろな課題について保護者と当局が検討するのを議会が見守り、時には、内容について聞いてアドバイスする事が出来るように、他の議員・会派の協力を求めて採択する ─ そうすれば、一見移転する事で敗北に見えるけれど、将来の子供達の為に、耐震で本当に良い環境を整えられるし、知肢併置になるに当たってのいろいろな条件整備や交通問題等について、本当に有効な方法を共に作り出せる。その方がいいのではないか、と結論を得て、ようやく、2月12日、一挙に議会への請願の方向に動き出しました。その間、山口議員はPTAの山本会長と何回も、本当に親身になって相談に乗ってくれました。

調べてみると、予算の教育関係を審議するのは3月5日で、請願書を市会事務局に届ける期限は2月24日午前中。その間、75人の保護者に話をしたり、一方では民主党や公明党に協力をして頂くのに、いろいろな意見を調整し、それぞれの意見を伺いながら採決を頂くために努力をしなければなりません。保護者の方々は、何回も議会に来ては、お願いに回られました。民主党も公明党も、実によく話を聞いて下さり、すでに研究もされていて、実現できない事や、行き過ぎた要求には意見を頂いたようでした。

我が会派では政調会長の安達和彦議員が、日頃の付き合いもあって、政調会長として民主・公明の政調会長に何回も連絡し、陰の苦労を厭わず、保護者をお連れして各会派を回る等、実によくやっておられました。

一方、平野団長は保護者の皆様に「私は皆さんのアンケートをつぶさに読ませて頂き、大変な事だと理解した。今回の当局のやり方は、本当に理解できない。(皆様の)無念さは理解できる。皆様の為にできる限りの事はさせて頂く。特に山口議員の活躍には頭が下がる。まさに議員の原点である」と話され、なんと団長自ら請願の紹介議員となられた事には、保護者も山口議員も感激しました。

ここまで一気に書き上げましたが、その間何回も保護者の方々とお会いしてお話ししてきた私は、お会いする都度にうれしく思いました。皆様きれいな人だったと言うより、美しくなったのだろう、と、まさに、明るく強く、すべての運命を淡々と受け入れている覚悟が美を作っているのかも知れません。

保護者の中でMさんは、
「私の子供が何故重度の障害者なのと初めは思い、落胆しました。でも、頑張ってやって行く決意をして、この子供中心の家族づくりに変えて生活を続けて行くうちに、すべてが変わってきました。今まで行っていた所、時間の使い方、そしてお付き合いする仲間、すべてが大きく変わってしまいました。決して悪い事ばかりとは思っていません。普通見えない事も見えてきました」
と語ってくだしました。

Tさんは
「私は自分の子供の事を言っているのではないのです。会合に出て来られない、もっと重度の子供さんを持った保護者の方を思うと腹立たしく、本当に当局は分かっておられるのか」
と仰い、Hさんは
「私達は現在でも、近隣に車を駐停車する事で迷惑を掛けていますので、気を使い、近隣の皆様のご厚情で、何とかやって行けています。又、東灘区のいろいろな行事に参加して、やっと友生養護学校が理解されるのに30年かかってきました。これから又、兵庫区でやり直しです」
と、移転が持つ問題を危惧しておられました。

いずれも、怒りを押し殺し、淡々と語る一言、一言で、重い感動を受けました。

保護者の皆様は、子供達にあらゆる方面に気を使い、他の障害者を思いやり、保護者として冷静さを失う事が子供の為にならないとの気持ちがあるのかも知れません。私は、今回の当局のやり方はその事が分かって……私は悲しい。

私が当局なら、75軒を一軒一軒訪問するか、会って意見を聞く。それが何故できないのでしょうか。当局はそれも学校に任せていて、直接会わない事にしているといいます。何故そうなのか、私には分かりません。自分よがりの勝手な規則を決めて、一軒一軒訪問しないようにしているのです。

私の信頼する田中幹夫弁護士に相談したところ、「特に重度障害者の保護者の方は人格者が多く、争いを避ける人が多いが、今回のように十分な情報も出さず、しかも短期間しか考える余裕もないやり方は、もう時代遅れ。まだそんな事やっているの? もっと調べる必要があるが、そのやり方では、他都市は何回も敗訴しているから、今回も裁判になれば市は難しい立場に立つ」と注意してくれました。まぁ、(今回は)そこまでは行かないとは思いますが、当局は注意が必要でしょう。

我が会派の政調会長安達議員や山口議員の陰の活躍と、保護者の皆様の熱心な動きで、民主党からは横畑和幸議員、公明党からは北川道夫議員が、紹介議員になって下さいました。いずれも東灘区の議員で、良かった。やはり地元を知り、しかも普段馴染みのある議員なので、保護者の方も喜んで下さるに違いありません。いずれも政策マンであり、実直な議員ですから、今後も見守って下さると信じます。

かくて、2月24日午前11時50分に請願は提出されました。なんと、期限の10分前でした。審議は3月5日朝、予算第一分科会の教育委員会審議にて行われます。我が会派は、エース山口由美議員が論戦を展開するでしょう。その種の問題の多くは、野党がヒステリックに叫び、玉砕して最後には何も残らない事が多かったのですが、今回は、地味ではあるものの、しっかりと次への話し合いの保証を得る事が出来るように、と願っている。

保護者の方々も、今回の事で多くの事を学び、議会の仕組みも知って下さいました。私も新たな学びがあり、出会いもありました。

最後に、2007年7月11日に亡くなった、友生養護学校の生徒であった渡辺太平君の葬儀で、お母さんが語った挨拶をご紹介します。

「今まで私と太平を見守って下さった友生の教職員と仲間の皆さん、ありがとう。太平が生まれた時、なぜ私が何故私の子供が、と思いました。でも、太平君、あなたは本当にきれいで、素敵でした。大好きでした。太平君、本当にありがとう —」

私が、友生養護学校が移転する事を山口議員から知らされた時、友生養護学校の子供も入って永年共に運動会や餅つきをして励ましてきて下さった住吉中学校野球部OB会のボランティアの人々や、小林英治さんの顔が浮かびました。申し訳ありませんとしか言えない私も、つらい。多くの人々が友生養護学校を支えてこられたのです。すまない ─ でも、まだ移転するにしても、最低3年間はあります。

最後まで絆を深め、もっと美しい思い出を持ち続けようではありませんか。