そんな一部の議員は… 市民の目からすれば勇ましく映ったかも知れない。なにしろ、私もその役に回りたい衝動にかられたほどだった。が、耐えた。地方議員が与党である事。“自民党の反撃は地方議員から始まる"。そのためには、市民と直結する与党でいなければ、仕事ができない。民主党小沢氏も石井一氏も、自民党の弱点を知り尽くしている。したたかな小沢氏が、地方議会にまで手を延ばし自民党支持者と地方議員の隔離を狙っている事は明らかで、その術中にはまってはならなかった。我々は逆に、よりしたたかに民主党・公明党と共に「地方議会は我々で築く」との思いでいたのだ。
そんな中、神戸市選出の県会議員は、我々とある程度話し合うパイプがあったので見守ってくれたが、なんと、神戸市以外の議員が、街頭で樫野氏応援をやった。まったく迷惑な行動であった。
そうこうしていると、10月16日、ある報道機関(A社)の期日前出口調査で、矢田氏と樫野氏が並んでいるとの情報が、民主党神戸市会議員団幹部から平野昌司団長に入った。我々は信じられなかった。平野昌司団長から、さらに地域廻りを続けるよう指示があった。
続いて10月19日・20日。B社・C社から「かろうじて矢田氏が上回っているが、勢いは樫野氏にあり、全く分からない」という情報が入ったものの、各社紙面には「矢田氏優勢」と出た。これで市民は「やっぱり」と思ったに違いない。だが、その後寄せられる情報は、樫野氏が一歩リードだった。特に、はじめのA社の情報では3ポイントも樫野氏が抜き出ていた。
我々は焦った。民主党幹部から、自民党の力を借りたいとの声が聞かれた。しかし、我々の仲間からは「今頃何を言っている」「朝令暮改」「我々の手足を縛っておいて」といった不満が出ていた。そこで、各自、自分でできる範囲で、できるだけの事をやるようにした。民主党のやり方への不満があっても、別に矢田氏が嫌だというわけではないので、各議員は苦しい中、相当に動いてくれたようだ。
私は、市長の推薦ハガキの発送を、私の名前でなく、自治会長や人望ある方々に依頼した。会合も、私の名前でなく、3ヶ所で持った。いずれも、かなりの方たちが集まって下さった。自民党の安井が動いたという事で、周りは安心して下さったようだった。私の、矢田氏に対する勝手連的なこの動きは、まさに「戦略で勝って戦術で負ける」戦いの様相を呈していった。
▲愛猫ピョンを抱いて待機
民主党幹部と平野団長に連絡するも、彼等もまた心配していた。仲間の議員にも連絡するが、さりとて、今さら何もできない、せいぜい、選挙法で許される「投票に行かれましたか? 棄権しないで下さい」と、電話をかけるくらいだ。民主党幹部は最後まで頑張りを続けていた。平野団長も頑張っていた。私もできるだけの事をしようと、電話をかけ続けていた。
C社から「矢田氏は、ほぼダメだろう」との感想が伝わってきた。A社のテレビの予想グラフも、樫野氏優勢と出ていた。ただ、D社の記者だけは「まだ分からない。自分の勘としては、矢田氏が逃げ込むと思う」と言っていた。その事を民主党幹部と平野団長に伝えると「我々もそう信じて、戦後の一秒まで戦う」─ 彼らは、実に冷静で頼もしかった。そして、逃げ切った。終わった。
昨日、民主党幹部と雑談した。私が
「我々は一時、樫野氏が市長になったならば、リコールして解散し、もう一度市民に信を問うつもりだった」と話すと、同じ事を考えていたと笑った。しかし、もしそうなっていたら、大変だったろう。
これからも自・公・民は連携を取りながら、神戸市議会が編み出した、議会から提案して市政に市民の声を反映するシステムを守る。民主党一辺倒には、絶対させない。風の便りに、民主党幹部は、決して自・公の議員に対して無礼のないよう、今まで通り連携を取りながら、しかし議論はしっかりとするよう話していると聞く。そうであって欲しい。
この続きは、また明日以降…