Skip to main content.

2009年 10月 26日 月曜日

今まで、このブログで、市長選挙については、自由民主党神戸市会議員団の立場を「私見として述べた事」と、「自由民主党総務会での質問に答えた」事ににとどめていた。それは、選挙法に則ってやむを得ぬことだった。よって、選挙が終わった今、初めてここで、市長選挙について総括しようと思う。
  • 第一に「樫野孝人氏の健闘を高く評価する」
  • 第二に「今回の矢田市長勝利までの戦略は、これ以外にはなかった」
  • 第三に「次の市長候補は、市役所内部から出すべきではない」
  • 第四に「今後の市政について、市長は市民感覚で望んで欲しい」

1. 樫野孝人氏の健闘を高く評価する


▲談笑する自民党神戸市議団

私は樫野氏に会った事もなく、演説を聞いた事もない。だから、人物は評価できないが、マニフェストを拝見すると、分かりやすく、さすがにプロデューサーだけのことはあって、自分自身の演出は、矢田氏に優っていた。また、集票する上において、市民受けをする訴え方はさすがと言える。

ただ、今回の票は彼自身への票ではなく、矢田氏の民主単独推薦に対する反発 ─ 特に、小沢氏の強引なやり方に対する自公の反発によった。加えて、市長が副市長順送りで決まってきたことに対する批判票だ。自分への票でない事は、賢明な樫野氏なら理解されている事であろう。それならば、彼にとって今後の行動が、次期に備えての大きなポイントになると思う。

2. 今回の矢田市長勝利までの戦略は、これ以外にはなかった

当初、我々も矢田氏が最良であるとは思っていなかった。が、永年にわたって自・公・民で市長を支援し、大きな問題も乗り越えてきた。ポートアイランド建設や、六甲アイランド建設。西神・北神・空港・市債と、福祉・教育・文化面の課題など、お互いの立場を尊重しながら、市民のために着々と仕事をこなしてきた。そのやり方を変えてみたいという市民の思いは、理解していた。

だが、変える相手が不足していた。確かに、樫野氏の名前は若い議員の中から出ていたし、私も関心は持っていた。しかし、彼の経歴や伝え聞く内容から、市長には向いていないと判断していた。市長をやりたいと思うのと、市民のためにと働きたいのでは全く違う。それで、私は矢田氏に決めたのである。

地味であるが、強さもあって、人気にとらわれず、やるべき事をやってきている。それに比べ、樫野氏は、まず公明党に相談に行き、民主党に行き、自民党にも行き、住民投票☆市民力にも、新社会党にも、共産党にも行っている。

中でも民主党は、当初色気を出したようだ。民主党は相乗りを徹底的に嫌っており、むしろ当初、民主党は矢田氏より樫野氏に強い関心を持っていたようだった。その為、一時期、中央は樫野氏、民主党神戸市会議団は矢田氏と、対立した時期もあった。そうした構図から、仮に自・公で矢田氏、民主は樫野氏で戦っていたならば、前回の衆議院選挙の再来に加え、首長連合の橋本知事や横浜の中田前市長が樫野氏の応援に来ることになり、自・公で矢田氏を推しても、勝ち目はなかっただろう。

それを裏付けたのは、大阪府の堺市の市長選挙だった。そこで、矢田市長を民主に渡して、我々が黒子に徹し、与党体制を維持する事が自民党の勢力温存となると判断し、玉砕を避ける戦略を取ったのである。

しかし、民主党小沢氏と市長との話の後、すぐに小沢氏が神戸に来て強引に市長と記者会見を開き、自・公を切る発言が出たのは計算外だった。後で市長に聞くと「そんな事は言っていない」と言うのだが、真相は分からない。

この報道で、自民党を思っていて下さる方々が激怒された。私の事務所には、抗議と激励の電話が入れ混じって続いた。中には「お前が出ろ」とまで言う方がある始末で、いくら説明しても、無理だった。しかし、時間をかけて幹部の方々にはご理解いただき、本格的な黒子活動を進めていったのだった。


▲戦い済んで、ホッと一息

平野昌司団長は、私以上に内外から批判された。特に県会議員はもとより国会議員からも叱責を受けられ、あらゆる自民党支持団体からも責められていた。我々は、2人で励まし合い、この戦略しかないと、何度も議論しながら耐えた。まさに「韓信の股くぐり」であった。

選挙戦に入ってからも、民主党からの申し入れで、市長の推薦ハガキが回収され、我々の計画した矢田氏のための演説会は潰れた。矢田氏と行動する事のすべてが禁じられたのだ。気の毒なのは、若い自民党議員。成すべき事がなく「海外でも行くか」といった冗談も出たが、彼らも、矢田氏支援の動きをそれなりに、確かにしていた。

平野団長と私は黒子として、今成すべき事が議員の役目であり、いつか自民党の為になると信じ、団体へのご説明に廻って、ご理解を頂くよう努めた ─ これについては、前のブログで書いた通り。確かな手ごたえはあったものの、とても廻りきれるものではなく、かなりの団体が、樫野氏支持ではないにせよ、矢田氏への反発を抱かれたままになってしまった。

この続きは、また明日…