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2009年 09月 27日 日曜日


▲すてきな笑顔でお出迎えいただいた
新たに加えた項目「気になる紳士・淑女録」のシリーズ第一弾は、冨永喜代子さん(89歳)。彼女を知ったのは、このブログで何回かご紹介した“深江文化村”。彼女の住まい、冨永邸は、深江文化村のルーツ13軒のうち現存している僅か2軒の1軒である。 私が「長い間、市民の為に家を守ってくださってありがとう。冨永邸が無かったら、深江文化村は消滅していたかも知れない。本当にありがとう」と申し上げたのにご感動下さった。「家もそうですが、主人を守りました」という彼女の、一度家に来て下さいとのお言葉に甘え、秘書を連れだって伺った。


▲この屋敷をお守り下さっている

▲品々の一つ一つに物語がある
お住まいを拝見して、また感動。彼女は、この日本で初めてのツーバイフォー造の屋敷をピカピカに磨き上げておられるのだ。庭には花がいっぱいで、特に南方系のものが多かった。応接室に置かれている思い出の品の一つ一つにはむろん物語があって
「この椅子はアメリカ時代に使っていたものです」
「このテーブルクロスは私の母が龍村の帯を作り直したものです」
と、ニコニコしてお話し下さった。
彼女のご主人のお父上が、神戸高商から神戸の鈴木商店に入社し、アメリカ担当になった。その時にアメリカ人に設計させたのが、このお宅。当時の家具をこの家に持ち帰られ、今でも、それらを使っておられる。


▲楽しい語り口に、笑いが絶えない
御主人とは昭和18年に結婚され、彼女は、その頃からこの家で暮らしてきた。彼女の実家は赤穂のアース製薬で、名門のご出身。結婚後間もなく、御主人の幹太さんが出兵。ニューギニア戦役で玉砕の通知があったが、病身となってフラッと帰ってこられたそれから、彼女の苦労が始まった。嫁入り道具に持ってきた着物を売りながら、この家とご主人を守り通した、その当時の苦労を、ユーモアを交えながら楽しくお聞かせ下さった。

ふと、思い出したのが、岡本の屋敷。かつて、谷崎潤一郎が最も愛した岡本の和洋折衷の屋敷で、関西の文化人が集まった。その屋敷を守るべきだと感じて、持ち主の文屋さんに「神戸市の文化遺産の指定を受けて欲しい」とお願いしたことがあった。そのとき、文屋さんはきっぱりと「役所の保護を受けなくても、この家は守ります。この家を守るのが、私の仕事です」と仰って、現に、カナダ人に貸しても釘一本打たさなかった。借りたカナダ人も心得て大切に使って下さっていたが、震災で消滅した。

当時、私は議員2期生。もっと強くお願いしていたら、或いは復興できていたかも知れないと思うと残念であり、私にも責任があると思っている。しかし、あの時の私の若さでは、あの文屋さんの、気品に満ち毅然としたお断りの弁を押し切る事は出来なかった。

冨永喜代子さんは、国の登録有形文化財指定を受けて下さっている。彼女も初めは断ったそうだが、皆さんの為にと受けて下さった。彼女は、自分を“ドケチ”だとおっしゃる。色々な物を捨てずに、上手に再利用しては楽しんでおられるからだが、私の後援会の幹事長がドケチ教の教祖の吉本清彦さんで
「ドケチとシブチンは違う。ドケチはうまくお金と物を使うが、シブチンは出す時に出さずに逃げる。しかし、ドケチをやるには修行がいって、なによりユーモアがなくてはならない」
と言うのですよとお話しすると、「そうそう、ソレソレ」と笑われた。


▲お花に囲まれて
喜代子さんは、町内の行事やボランティアでも一番にご寄付なさっておられると、陰ながら聞き及んでいる。素晴らしいケチである。

庭のきれいな花に囲まれてのお話をうかがって、実に楽しかった。この美しい方が、まだ89歳。まさに日本女性の美しさ。賢く、品があって、奥深く人々から信頼される。
「安井さん、私、これからお隣の奥様と芦屋大丸で、コーヒータイムよ。貴方はダメよ。またお会いしましょう」
という今日のお話の幕引きに「ハイハイ」と応じ、「いつまでもお元気で居て下さい」と願いながらお宅を後にした。