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2009年 09月 20日 日曜日

昨日、隊員ではない阪神基地隊の関係者が来て下さって、選挙のねぎらいの言葉をいただいた。今回の衆議院選挙は私にとって、多くの事を学ばせてもらった選挙で、つい先頃のことではあるけれども、色々と思い出深いものでもあった。中でも、特に印象深いのは… 選挙も終盤戦に入ったころの、第三工区の阪神基地隊での事。

盛山候補を連れて、街頭演説に行った。阪神基地隊の前に車を停め、私は、
「国民の生命・安全のために働いて下さる方々。ある時はテロと戦い、ある時は、皆様のお仲間が中近東で、海賊から日本の石油と食料を守って下さっている事に、感謝する。同時に、私達神戸市民は、阪神大震災の折、海上自衛隊が多くの命を救ってくださった事を、忘れてはいない。従来、神戸市労働組合の多くと一部の幹部は、反自衛隊であり、今まで、防災訓練も共同で行われていない。神戸港に艦船を入れる事を嫌がっていた。しかし市民はよく知っていました。市民が市役所に“自衛隊さんありがとう”の垂れ幕を下げたのです。

私と神戸市民は、皆様の御恩は決して忘れません。今や、マスコミの誘導と我が党の失敗もあり、盛山は苦戦しています。しかし我々は、決して玉砕はしません。皆様の阪神基地隊に、かの名将 東郷元帥閣下のお孫さんがいらっしゃいますように、我々は今、Z旗を上げ “皇国の興廃此の一戦に在り。各員一層奮励努力せよ”。必ず、勝利します」
と演説した。


▲東郷元帥の気持ちが分かる気が…
一人二人と、垣根越しに聞きに来て下さった。昼休みなので、グラウンドでくつろいでいた隊員の方々だった。彼等は国家公務員だから、手を振ったり声を出すといった行動は控えておられたのだろう。最後に、私は丁寧にお礼を申し上げ、手を振った。その時、集ってくださった隊員方は、一斉に敬礼してくださったのである。きれいな、凛々しい敬礼だった。

彼等の精一杯の我々に対する応援なのか、劣勢にありながら全力を尽くす我々に対する慰めなのか、知る由もない。が、私は涙が溢れてきて、止まらなかった。私は「さようなら」と一言、マイクで叫んだ。そして、心の中で叫んだ。「We shall return」と。