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2009年 09月 17日 木曜日

今日の保健福祉局の審査の中で、冒頭、我が会派の平野章三議員が「審議に中央市民病院と西市民病院の両病院長が出席していないのは、なぜか」と質問した。これに対し局長は… 「病院長に代わって答弁できる理事が来ているので、良いと思った」と答弁したが、私は「これは違っている」と思った。

平野議員の主張は、まさに議会と当局の関係を突いているのである。

当局は「独立行政法人に移行する事と、病院の事については、答弁できる事務方がいるので」と答弁したが、これも問題である。議会は市民を代弁して予算の使い方や行政の方向などについて質すにあたって、実際に市民と接触している現場の声を聞く必要がある。まして今回の決算は、移行決定以前の決算である。「病院長が出席を嫌がったのか、当局が止めたのか」という質問には、答弁すらなかった。

この問題は、理事会に任す事とすると副委員長が判断し、審査が続けられたが、私も平野議員を支持したい。誰を審議会に出席させるかの判断権が当局にあるのならば、都合の悪い職員を当日欠席させる事もあり得るわけで、これを許すと議会軽視につながってくる。

また、平野議員は保健福祉局の活躍を十分理解しているし、よくやっていると日頃から評価しているが、その事とは別に「議会に対して真摯に対応して欲しい」という議会人としての見識を示したもので、当然の主張であると思った。

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▲ハチと記念撮影
昨閑話休題。昨日、久しぶりに映画を観に行った。話題の「HACHI 約束の犬」である。

映画としては“泣かせてくれる感動作”と言ったところで、リチャード・ギアの演技が光っていた。時々、ハチの目線で見た街の風景や人物を映し出し、ハチの心を表現していたのが面白い。この辺りが、ラッセ・ハルストレム監督のすぐれたところであると思う。

日本人の倫理感や日本人の持つ素晴らしい民族性について、最近、西洋人から強い警告を受けていると思っている。例えば、ラストサムライでは日本人の心の中の「武士道」が失われて行く様を物語っている。勝っても負けても、自分の主義の為に信念を貫く「さむらい魂」 ─ これは、西洋人の目から見ても美しい「男の美学」と映っていたのだ。

この映画を作るにあたっては、日本を訪れたプロデューサーがハチ公の物語を知って、ハリウッドで映画化し、リチャード・ギアが制作に加わったという。きっと彼等は日本人に対して、約束を守る美しさ、愛の強さ、恩義を忘れない真直ぐな心を教えているのかも。かつて日本人が持っていた美徳であったが、西洋人から見ると、その大切なものを失いつつあるように見えるのかも知れない。私も、同じ警告を受ける日本人の一人として、確かに心しなければなるまい。そんな意味で、このHACHI 約束の犬は、評価したい良い作品だった。

蛇足ながら、シルバー料金1000円は安かった。まさにお得である。