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2023年 01月 13日 金曜日

コロナを理由に行事を中止する局は楽だろうが…と、消防出初め式に続いてありがたく、嬉しく思ったのは… 三年ぶりで催された、『令和5年神戸市はたちを祝う会』。

兵庫区のノエビアスタジアム神戸で1月9日10時45分から行なわれた同会は、コロナ対策としての配慮から、午前と午後の二回に分けられた。良い天気に恵まれて、スタジアムの青い芝生と、振り袖姿やスーツ姿のはたちの若者たちは輝いて見え、市長も私も良い気持ちだった。

神戸市内には1万5千人のはたちの若者がいるが、当日は午前午後あわせて9千人、約60%が会場に集って下さった。「久しぶりの友人と会えるいい機会だから」というのが一番よく聞こえてくる理由だけれど、それぞれがやはり、「はたち」という区切りを意識しているように思う。

この『はたちを祝う会』のために代表スタッフを公募したところ、11人のメンバーが決まり、14回の会議を重ね、企画立案や記念冊子の作成、SNSの運営をしてくれた。しかし、メンバー11人の内で男性は一人だけ。それも、毎年同じような傾向であるらしい。理由は分からないし、別に構わないのだが、男性がもっと応募してくれればと思う。

市長からの祝辞は、「はたちを迎えた日を忘れないでほしい」というものだった。神戸はかつてスペイン風邪で多くの死者を出し、阪神淡路大震災でも6千4百名以上の死者を出したが、コロナからも立ち上がって、立派な都市として成長している。今大切なのは、自立する覚悟を持つ事だ。法的にも、成人として認識されるようになった事を自覚してほしい、と訴えておられた。

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私は、「自分は戦争中に生まれ、まだまだ戦後の影が残る時分にはたちになったけれど、決して暗いばかりの時代ではなかった。それなりに、楽しい少年時代を過ごした。今、80歳になって思うのは、20代の大切さだ。自分の生き方や人生の価値を定めるために、友と語らい、書物を読み、講演をきくなどして、いろいろな経験を積む、大切な時期であることを思ってほしい」と語った。

27年前の阪神淡路大震災において、救護活動中に何人かの人々が、私の腕の中で亡くなっていった。あの時私たちは、価値観が大きく変わった。大事にしていたブランド品が何の役にも立たず、命ですら一瞬で消え去ってしまった。しかし、だからこそ、大切なものは命や、人との絆、他の人を思う優しい心だと改めて気付かされたのだ。「はたち」という区切りは、人生の価値とはどのような生き方をするのかを考える、大切な時期である、と。

一方「私は、自分の人生を、この神戸市の為に捧げてきた。数々の歴史がある素晴らしい都市だし、今また、新しいステージに立って政令市の中でもユニークな都市として変容しようとしている。この機会にそういうことを知って、この神戸を愛して下さい」とお願いして
「広い宇宙の、広い世界の、広い日本の、広い神戸で、このスタジアムに「はたち」の縁で集うことができた喜びを大切に。幸多く、価値ある人生を送られるよう、議長としてお祈りします」
と結び、寿(ことほ)いだ。

帰りに久元市長と一緒になって、「市長、はたちのお祝い会はどうされましたか」と訊くと、「記憶にないです」との返事。実は私も記憶がないので調べてみたところ、神戸市で旧「成人式」を行ない始めたのは昭和51年かららしく、私の世代では式典はなかったようだ。比べて、記憶に残せる今の世代を羨ましく、微笑ましく思う。

この祝いの会はそれなりに大切で、こども家庭局もよく決行して下さった。入念なコロナ対策をもって市民のために開催しようと努められた、局を褒め称えたい。今回も、9千人のはたちが喜んで下さったではないか。
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