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2022年 12月 27日 火曜日

大変有意義な時間を与えて下さった神大学長に、改めて心から感謝したいと、そう思ったのは… 神戸大学創立120周年記念式典がポートピアホテルで行なわれた、12月25日。ありがたい事に私もご招待いただけたからだが、招待客が大勢いる中で、貴賓紹介の10名の中に市会議長として入っていたのは、たぶん藤澤正人学長の御厚情によるものだと、喜んで参列した。

藤澤学長とは二度ほどご面談頂いたことがあるのだが、強靭な指導力と確かな運営方針を持っておられると感服させられた。この式典でも、「神戸大学のこれからの方針は、日本のみならず世界に役立つ人間の育成と、研究と成果である」と、明らかにされ、神戸市などの自治体と組んで、産学官連携を強く結ぶ事。さらに、その研究や学問を、真に役立つものとする事を目指すとスピーチされた。

事実、近年の神戸大学は、ベルギーのブリュッセル大学やアメリカのワシントン大学、中国の精華大学等と共同研究を通じて親交を深め、地方大学の枠を超え、独自のカラーを持ったグローバルな大学として特異性を出しつつある。今後の伸暢がますます期待できる学舎が、ここ神戸にあることを誇りに思った。

写真
式典は二部構成で、前半の第一部は式辞や祝辞に、学生さんたちによる演奏など。第二部は記念講演となっていて、講演者はお二人。根岸哲神戸大学名誉教授と、ノーベル生理学・医学賞受賞の山中伸弥京都大学iPS細胞研究所名誉所長・教授だった。

私はお二人の講演を熱心に聞いたのだけれど、正直なところ、根岸教授の経済法は私には難しかった。競争法と独占禁止法が相反するのではなく、お互いに補完しているとの事で、私は、企業のモラル確立や育成といったお話しを期待していたのだが、違っていた。

写真 山中伸弥教授
一方、山中教授の話は、良くインタビュー等でも語っておられる「なぜ医者になろうとしたか」についてから話し出され、よく判った。山中教授の御尊父様は、58才というお若さで、C型肝炎で1988年に他界された。C型肝炎は翌1989年に原因が発見され、2014年にハーボニー配合錠という画期的な抗ウィルス剤が発明されて、多くの命が救われるようになったが、その時にはまだ、治療法がなかったのだ。その悔しい思いが医学者になる原動力の一つとなったそうで、「神戸大学医学部に合格した時、まだ存命だった父親の喜ぶ姿が忘れがたい」と語られた。

大学では柔道やラグビー部で活躍し、アメリカへ留学。帰国後。1999年から奈良先端科学技術大学院大学の遺伝子教育研究センターで、iPS細胞の開発につながる研究を始められた。「この研究には、自分を助けてくれた三人の研究者がいる」と、三人の名前を挙げられたが、そんな、自分だけの手柄としないお人柄に心を打たれた。

iPS細胞の将来についても「今は四種類の免疫型の細胞を有していて、日本人の人口の40%で色々な病気に対応出来るが、さらに、100%の人々と、もっと多くの病気に対応できるようにするには、大変な努力と戦略が必要である。大学の研究者と企業、両者共有の大きな試みであり、そのために公益財団法人 京都大学iPS細胞研究財団が創設され、私も理事長として、研究者や職員約百人と一緒に頑張っている」と語られた。

そして最後に「これからは確実に、健康寿命が延びてゆく。それを考慮して、人々に仕事をどう配分し続けていくのかも考えていかねばならない」と、社会への問題点も示し、「今後の研究には、強さだけでなくしなやかさが大切である」と強調された。私は、おそらくは、ご自分の神大医学部ラグビー時代の、無駄なようでいて、しかし精神的ゆとりが与えられた、その経験を語っておられるのだと思った。

実は、私の孫が、慶応大学医学部でラグビー部なのだ。孫はラグビーが大好きで、「ラグビーをするために医学を勉強する」と言って、遠く離れた地で寮生活をしている。私の遺伝子が4分の1入っているとは到底思えない、むしろ突然変異が起こったと思うほどの、私の自慢の孫で、神様に感謝するしかない。そんな共通点があったので、山中先生の講演後、私は孫に電話して、「強さも大切だがしなやかさも大切」と、受け売り話をする事にしたのだった。
写真 スクリーンに映し出された、山中教授の神大医学部ラグビー時代の一駒