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2022年 11月 22日 火曜日

いずれにしろ、来年以降に向けて早くから、方針を議論しておく必要があると、そう思ったのは… 去る日曜日、11月20日に催された、第10回神戸マラソンの待ち時間でのことだ。

午前9時から行われた神戸マラソンは、ありがたいことに雨の予報が外れ、少々雨に降られはしたものの、曇り空に留まって終われたのは、何よりだった。気温が上がる快晴よりは、マラソンには却って良いコンディションだったかもしれない。

当日は、二万人の参加者が走り出す前から、久元市長や齊藤知事と一緒にスタート台に立ち、黄色の手袋をつけて思い切り手を振り、ランナーたちをお見送り。スタート台には他に、神戸マラソン実行委員会の吉井道昭会長、スポンサーでシスメックス株式会社の家次恒会長、大会ゲストの有森裕子さん、田中希実さん、ラグビー元日本代表の大畑大介さん、マラソン解説者の金哲彦さんたちが、並んで応援した。

中でも有森さんは「行ってらっしゃい! 気を付けて! 元気で頑張って!」と、ひときわ大きな声でランナーを送り出していた。二万人と一口に言うが、市役所前のフラワー通りを南へ2号線まで行って、東へ折り曲がった道路までを埋め尽くす大集団だ。しかも皆さん、16,200円の参加費をお支払い下さっているのだから、本当にありがたい。実は神戸マラソンは、ゴールドコーストマラソンの提携大会。立派に成功し、議長としてご尽力いただいた全ての関係者にお礼を申し上げたいと思った。

午後には、ポートアイランド国際展示場前で表彰式が行われた。私は男女2位、3位の方にトロフィーを渡す栄誉に預かった。皆さんが走ってゴールされるまでの間に、ある学校のセレモニーに出向いたりもしたが、殆どは待合室で関係者と雑談をしてやり過ごした。その時、ある有力ゲストのA氏から、神戸マラソンの今後について不安の声が出た。「今はマラソンブームですが、将来は廃れて、生き残る地方マラソンは少ないかもしれない。例えば神戸マラソンで良い記録が出ればオリンピックや世界大会の選抜選手になれるような、又は、選考記録になるようなマラソンでないといけない」とのご意見を頂戴して、「まったく同感です」と答えた。

第10回を数える神戸マラソンは、今後の方針を見直すべき時期に来ていると、以前から考えていた。指摘されたように競技会として本格的な大会を目指すか、対照的にレジャーとしての、お祭り的なイベントとして楽しむマラソンにするか、方針を決めるべきだ、と。そう申し上げると、著名ゲストのB氏が「神戸はタイムを競うより、けっこう楽しめるコースとして有名なので、そちらを目指せばいいのではないでしょうか。今の神戸のコースでは、起伏が激しいし風はきついし、決していいタイムは出ません。でも、レジャーとしては少々厳しめのコースですから、いろいろ難しいですね」と仰った。

そこで私とA氏が「タイムとレジャーと、両方望んでいきたいです」と口々に言えば、B氏も「それは良い事ですね、神戸はマラソン発祥の地ですから」と肯定して下さり、加えて、「両方を狙うなら、まず西の海岸沿いに走るコースは風が強くてタイムが出ないので、コースに東(灘区・東灘区)を入れるか、或いはまた、スタートを市役所前からポートアイランドにして、ゴールを市役所前にするとか … どちらにしろ、コースを大幅に変える必要があります。陸連の細かな規則もありますから、なにかと大変ですよ」との事だった。

その時、市の事業部のC氏が話に入ってこられ、「兵庫区のスタジアムを何回か廻ってはどうでしょうか」と提案があった。B氏は「それは有りです。他の都市も、最近はそのような方向に変わりつつありますし」とお墨付きをくださった。

私がここまでこだわるのは、神戸マラソンが議会提案で始まっているからだ。須磨区選出の故・崎元ゆうじ氏と、私とで、議員仲間の釣り部会で各地に釣りに行った際、神戸マラソンを始める相談が出来上がった。崎元氏が元は体育の先生だった事から提案議員となって、私も応援団よろしくエールを送り、本会議場で当時の矢田市長へ提案し決まったのだ。

かくて、第1回神戸マラソンが2011年11月20日に開催されたのだが、なんとその時、私は第93代議長を務めていた。こんな縁もあるから、特に思い入れが強い。神戸マラソンをこれからも愛し、応援し続けていきたいと願っている。