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2022年 11月 15日 火曜日

これからも、姉妹提携する神戸とシアトル両市が手を携え、共に発展していけるよう… 心から願ったのは、去る10月29日から11月6日までの訪問で。

提携68周年でもあることから、久元市長と神戸企業の皆様、合計10名でシアトル市を訪問したのだ。視察の後半には、友好都市であるポートランド市も訪問した。

シアトル市での目的は様々だが、第一はマイクロソフト社のラボを神戸市へ誘致する案件。第二には、シアトル市と神戸市の協力で、港湾から水素エネルギー等の新しいエネルギーを開発し、人類に貢献する事。第三に、両市の協力によって企業のスタートアップを生み出し、経済交流をアップさせる。さらに第四は、観光・飲食・農業など、両市にとってプラスになる協議 … 等々、様々な分野に渡っていくつもあって、久元市長も私も、会議と両市のデモンストレーションで多忙を極めた。

シアトル市にはこれで6度目の訪問となった私は、さすがに7度目はもうないだろうと思い、60年前、新婚旅行でこの街からカナダのバンクーバーに行ったことを思い出しつつ、一歩一歩、街を大事に踏みしめ、歩いた。

シアトル市は人口75万人と、神戸市の半分ぐらいなのだが、経済力は倍であり、勢いがある。そこにはマイクロソフト社の本社、Amazonの本社、スターバックスの本社が建ち並び、郊外には世界最大規模の、ボーイング社の工場がある。大きな国際空港と港湾施設は近年急成長していて、訪れる度にさらに大きくなっている。

さらに立派なのは、深い緑の森と美しい湖と港といった、まさに自然の雄大さと有効性を発揮している点だ。両方を兼ね備えている近代都市だからこそ、上記した優良企業が集い、人材もまた集ってくる。この点では、神戸市もやろうと思えばできる環境にあるだろう。問題は、急成長する都市には、必ず取り残される人々が出てくること。ホームレスの人々などの対策を、どう意識するかだ。

シアトル市では、立派な中央図書館の二階をホームレスの人々に開放し、無料のパソコン約200台を置いて、職探しや福祉の請求に使えるようにしていた。自ずと、それらの活動を支援するボランティアもいる。これは、神戸では難しいかも知れない。たとえば、神戸市立博物館の一部を開放する話が出れば、私も悩むだろう。しかし、ホームレスを出した事の責任を、本人の自己責任によるものだけでなく、行政側も感じていると、それが分かるのだ。

風も冷たく、ものすごく寒かったが、実は、彼地の物価がまた、とても高い。普通のラーメンが3000円くらいと、日本からの旅は、円安で大変で、懐も寒かった。

マイクロソフト社の訪問の際には、いろいろな部署を見せて頂き説明を受けた。びっくりしたのは、我々のためにマイクロソフト社が、日本人スタッフをこの日に合わせて広島から呼び寄せて下さっていた事だ。これは、現地シアトルの神戸貿易事務所の努力かと思う。

もしもラボが神戸に来ることになれば、関連会社や利用する会社が集ってくるし、神戸市のイメージも良くなる。市長も神戸誘致の意向を示し、私も議長として、25年前アメリカのGEメディカル(GEの医学部門)をポートアイランドに誘致する件で対応が遅れ、シンガポールへ行ってしまった失敗を繰り返さないように、「全力を尽くして、貴社のラボを誘致するよう、心配りをするつもりである」と説明した。

久元市長もその場で聞いておられたが、裏面で諸々、条件などの話をしているようなので、発言は控えられたようだった。同行した神戸企業からも熱いラブコールが発せられたが、マイクロソフト社の方は、「日本の他の自治体からも要請があります」とつれない答えだった。

この辺が難しい所で、一つの駆け引きか、実際の話なのか、これからの交渉によるが、我々としては必要としているし、マイクロソフト社側も日本に更なるラボが必要なはずなのだ。

シアトルと比べると、ポートランドでの話し合いでは、さほど手応えが私には感じられなかった。主に灘の酒と神戸食のPRだったが、どれ程の成果になったのか。
ポートランドの市長も、一度会議で20分ほど顔を見せて下さったが、こちらへの意欲は感じなかった。反応が良かったのは行政局で、ポートランドの市民は行政への参画が積極的だった。この街も自然を活かす取り組みが盛んで、空港にも現地の木材をふんだんに使用してあった。

市としての力はシアトルに比べると弱いが、常に人権問題に前向きで、麻薬患者を犯罪者として扱うのではなく、患者として保護支援する法律を全米で初めて作ったりもしている。その結果、財政が助かってもいるし、ホームレスも減少しているようだ。神戸市にとって参考にはならないが、私はスピーチで「神戸市には日本一の婦人会組織があって、消費者運動など積極的に活動され、市政への提案も多く、ポートランド市民に似ている。市民同士の交流は価値あるものと思う」と語った。

およそ60年前の、第12代神戸市長の原口忠次郎{就任期間1949(昭和24)年11月25日~1969(昭和44)年11月19日}のサインが、シアトルの港湾局の入り口に飾られているのを拝見した。両港が協力し合っていこうという、絆の証だ。「今後もこの提携を続けていき、水素エネルギーでアラブの王様を真っ青にしたい」と、私は現地でスピーチし、同行して下さった川崎重工業の役員の方々から温かい拍手を頂けたのが、嬉しかった。

ここで、忘れてはならない事。シアトルでマーシさんという84歳のご婦人に出会い、昔話を伺えたことだ。この女性は1957年に、シアトルと神戸市の姉妹提携を結ぶにあたって苦労して下さった方だった。当時は第二次世界大戦の直後だったため、日本への風当たりが強い中でのご協力は、さぞ困難なものだっただろう。

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日本で英語の教師をされた経験もあり、それで神戸を知って愛して下さったそうだ。二つの都市の姉妹提携に関われたことについて、彼女は私に繰り返し繰り返し、「自分の人生の誇りだ」と熱く語って下さった。しかも人の好さそうなご主人を連れておいでで、若い頃の活躍を得意げに語る姿に、私は微笑ましいものを感じた。彼女にとって、神戸とシアトルとの姉妹提携は、人生の宝物なのだ。このような市民がおられるのが嬉しく、出会えた僥倖に感謝したのだった。