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2009年 09月 13日 日曜日

9月10日・11日と連夜、御影市場の槇野会長と、市場内に近頃できた素敵なスパゲッティ屋に行った。今、御影市場が蘇りを目指して… 新しいスタイルで打って出ようとしている。空き店舗にシャレた靴屋や食品店が出店。これも槇野さんの見事な手腕と、高く評価している。彼は、これも御影市場の歴史のお陰と謙遜するが、いやいや大したものだ。


▲市場に若い息吹きが
9月11日の会食には、元東灘警察課長や槇野会長、それに某氏も同席。話が弾むうちに震災の話になった。御影の、国道43号線の南にあるプロパンガスタンクが爆発するとの情報のことだ。まず、43号線以南に避難勧告が出たが、当時元課長の某氏が署長と「爆発したら我々は殉職ですね」と会話したと聞いて、ビックリした。実は、食通のKさんがその時、当のプロパンガスの社員が避難したとの噂を聞いていたので、「やはり、あの時御影の住民は、相当危険な状況におかれていたのだろうか」と思っていたのだ。

9月12日、ボランティア活動中に偶然、当時の東灘消防署長にお会いしたので、これぞ神の知らせかと思い、この件について訊ねてみると、やはり相当危ない状況であったという。

消防局には漏れ出したガスを止める技術はない。爆発の影響は数m程度なのか、或いは何kmにも及ぶのか。火柱は横に這うのか。地上何m位になるのか ─ 等など、全く分からないことだらけ。ただただ住民を避難させる事だけが、ベストとしてできる事で、後は企業側の技術者がガスを止め、引火しないよう祈るだけだったという。

そんな事とは私も知らず、人命救助に走り回っていた。無事済んだからいいが、もし引火していたら大爆発となり、世界ニュースになるところだった。これは、見過ごしてはならない、次にくる地震に対して、全国の、プロパンガスタンクを持つ地域や、プロパンガス基地周辺では、耐震構造を完璧にするべきだ。県が許認可権を持っている以上、まさかの時のシミュレーションを行い、情報を市町村に出しておく必要もあるだろう。今回、点と点を結ぶことで、十年以上を経てようやく、情報の詳細が分かってきた。我々は、知らないうちに危険地帯にいるのかも知れない。桑原くわばら…。