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2022年 06月 07日 火曜日

私が「胡散臭い人と付き合うな。違法なことはするな」と言うと、彼は「分かっています。そんな事をしたり、噂になったりするだけで、今までの大切な… 人脈が壊れてしまう」と言ってくれたのは、日本の建造物解体に命を懸ける男、57歳の上原 満 兵庫県解体工事業協会会長だ。

四日ほど前にテレビで、中国でのビル16棟の爆破による解体シーンを見た。日本では滅多に見られない、と言うよりもう無いかもしれない。その時、私は彼を思い出していた。彼 … 上原会長と私は長い付き合いで、彼が頑張る姿を見守ってきたからだ。

彼は、阪神淡路大震災をきっかけに、トラック1台に社員1人との2人だけで解体業を始めた。事業は順調に伸び、兵庫区に立派な本社ビルを持って、社員も20人を超えるようになった。成長する彼を妬んでいろいろ言う人もあったが、私は信じていた。彼の車にはいつも、少年野球を手助けするためのバットやボールのセットが積んであって、ボランティアをしていたからだ。

私は、「必ず大きくなる」と励まし続けた。やがて彼は、皆に推されて兵庫県の会長になった。彼が「私には無理です」と固辞していたのを、私は「背伸びする時だ。もっと大きな企業があっても、気にするな。頑張れ」と言い続けた。会長になってから私に、「先生、会長になっていろいろな方と会って、勉強になります。夢が出来ました。解体屋を解体業にして、ひとつの業界を誕生させる事です」と語ってくれた。完全に、ポストが彼を大きくしたのだ。

昔のような三宮通いもやめ、東京に行って情報を集め、建設省(当時)の役人から多くを学んだようだ。そして、全国解体工事業団体連合会の理事として、関西ブロックの長にもなった。

そんな彼から私の事務所で、「皆の努力で、解体屋から解体業として国も認知して下さったが、地方自治体がそのことを知っていても、まだまだ解体屋の認識で、建設業に含めて発注をされる」と訴えられた。これからの解体業界を、アスベストやコンクリート工学を、小山明男 明治大学教授や北垣亮馬 北海道大学教授から学び、世界から学び、日本の解体技術が世界の冠たるものとなるようにしたいと語ってくれた。

嬉しかった。誇るべき学歴も資産も無かった彼が、背伸びを続けている。社員と家族を、とても大切にしている。相変わらずバットとボールを積んで走っている、彼がそうしている限り、私も安心して、目を細めていられる。今でも「静かに美しく」とまで評される、他国に類のない日本の解体技術。建設から50年以上経過した建物の数が増え、取り壊しや建て替えのための解体工事需要の高まりという追い風を受けて、伸び続けて欲しいと願っている。
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