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2022年 05月 24日 火曜日

「私は、どこの政党にも、どこの宗教にも加担しない」との彼の言葉を信じて、微力を捧げる事にしたのは… 中央区北長狭通にある、神戸フリースクールのこと。

我が会派の山下てんせい政調会長(西区選出)の呼びかけで、5月22日 日曜の午後一時半に、市会議員九人で、勉強とばかりに出向いたのだ。

この学校は、不登校の子供たちが学ぶ学校として塾に併設したフリースクール、「明石フリースクール冬夏舎」でスタートし、1997年に神戸に移った。2010年4月からは新たに、不登校及び高校中退者のために高卒資格を取得できる通信制高校、「神戸自由学院」が開校している。

一時間も早く行ってしまった私は、ビルの二階にある70平米くらいの校庭で勉強した。いわゆる学校らしいものでなく、理念として「生活即教育」とあるように、どこにでもある校庭の延長のような感じであった。まさに大きな家族的な雰囲気で、笑い声が絶えない良い雰囲気であった。

生徒は、競争もなく差別もなく、自由な行動の中から多くを学んでいる。大声を出したり走り回ったりしては他人に迷惑がかかる、それを、他人から強制されるのではなく、自ら学んでいる。多くの子供たちが、学校のいじめ等によって学校嫌いになってここに来ているのだが、みんな仲良くいきいきしている。

保護者の方に「チャンスがあれば学校に戻されますか?」と聞くと、「絶対に戻りません」とキッパリとした答えが返ってきた。保護者の方は、救われたというより、本当の教育に出会えたのだ、という感じだった。

私は、スピーチで「衝撃を受けた」と語った。なぜなら、今までいじめや教師への不信感から不登校になった子供たちや、中学生・高校生の保護者から、どれほど多くの相談を頂いたことか、そんな幾度にも及ぶ経験があるからだ。その度ごとに、教育委員会と連絡を取りながら、まず学校現場に帰すことを考え、教育委員会との間に入って必死で働き、悩み、夜中までかかって説得してきた。

中には、ある教師と会わないで済むような工夫をした事例まであった。しかし今回、それで良かったのかと、疑問に思ったのだ。確かに、無事卒業して良い高校に進学した中学生もいた。しかし、神戸フリースクールを見て衝撃が走った。この学校の保護者の方々のご意見やご要望もお聞きして、会派内で検討し、政策として提案する事になるだろう。

創立者の田辺克之先生には、強い興味を覚えた。神戸大学経営学部(海道ゼミ)卒業の先生は、多くの人との出会いの末に、このフリースクールを立ち上げられ、多くの生徒を育んでこられた。彼の人生はまさに、教育の神髄を探そうとしているように思えた。

聞けば、昭和19年生まれ。私は昭和18年生まれで、まさに、戦争中に生まれ、敗戦の中から立ち上がった人々の中にあったのだ。貧困や苦しみ、差別や人格無視などの一方で、人の温もり ─ 近所での砂糖や醬油の貸し借りや、隣の子供も自分の家で食事をさせて親の帰りを待ったりしたものだ。そんな近所付き合いと、かたや燃えるような建設のエネルギー。「もはや戦後ではない」と言われてなお、そうした心、精神を抱き続けてきたではないか。阪神大震災でも、その年代の後期高齢者は、びくともせずに落ち着いていたものだ。

私は、田辺先生に通じるものを感じた。本当に、勉強になった日だった。山下てんせい政調会長に感謝したい。