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2021年 12月 07日 火曜日

会長の小坂進さんから「安井さんは2番目に古く、46年間ですよ」と言われて、そんな仲間でいられる自分が… 誇らしく思えたのは、東神戸軟式少年野球リーグの結成50周年記念祝賀会。

12月4日 土曜日の同会では、私も顧問として表彰状を頂いた。祝辞で私は先ず、こう述べた。

「50年の中でたくさんの事がありましたが、強く記憶に残っているのはなんといっても、26年前の阪神淡路大震災と今回のコロナ禍に違いありません。震災では多くの子供たちや関係者が亡くなられたり負傷されたり、また、家屋が全壊などの被災を被りました。野球どころではなかったが、避難所になったグラウンドをあきらめ、四国や奈良や京都等、他府県の少年野球チームに助けられました」

そうして、集った方々を改めて見つめながら、

「コーチや監督は、継続のために全力をあげて子供たちを育てて下さった。コロナ禍では、教育委員会の指示でクラブ活動が中止となり、練習さえも出来なくなった。その間、一年半続いた子供たちのストレスは、頂点に達していました。私は顧問として、教育委員会に訴えましたが、公式試合や定期戦等、練習試合を除く試合と練習を認めてもらうのが精一杯でした。教育委員会は、状況をよく理解していても、もしクラスターが発生すれば責任問題となるので、禁止で臨むしか仕方がないのも分かっていた。コーチ、監督は子供たちのストレスと体調を考え、安全な空地を見つけて、バットの素振りやキャッチボールを個別指導して子供たちを育てて下さいました」

と続けた。さらに…
「皆さんのそれは全て、ボランティアで自腹を切って、土・日の自分の時間を割いてやってくださっている。しかも、今回分かったのですが、50年間活動を続けて下さった方が1人おられ、40年は5人、30~20年は多数、10年以上は、もっと多数おられる。素晴らしい日本人たちではありませんか」
「それらの人にお尋ねすると、『野球が好き ─ それもあるけれど、それ以上に子供たちを愛しています』とお答え下さいました。自分の子供だけを顕微鏡で見るのではなく、大きな双眼鏡で子供たちを見ておられるのです。中には、京都大学医学研究科の研究者の女性もおられ、このボランティアで多くを学んでいると笑っておられました。ある監督は、「結婚するのを忘れてました。土、日、祝が無いのでデートも出来ませんので、今年は監督を辞退しました」と話してくれました」

と逸話を披露した。

あるコーチは、「安井さんはいつも『社会人になったらまた少年野球に戻ってきて、次の子供たちを育てて下さい、それが安井のおじちゃんとの約束です』と言っておられましたが、その約束通り、僕は今戻ってコーチをしています。もっとたくさん戻って来ています」と、明るく言って下さった。これには胸がつまり、私は、「ありがとう、ありがとう」と答えるのが精一杯だった。
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