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2021年 07月 13日 火曜日

思えば、かつて宮崎市長は、灘・東灘区から白砂青松の海水浴場と漁師を奪った。つまり… 灘・東灘の沿岸部は、神戸経済発展のための犠牲となったのだと言えるだろう。

私は長い間、東灘区にある第三工区という埋め立て地で営業されている企業で組織される、第三工区会の顧問を仰せつかっている。第三工区の建設工事着工は、昭和37年5月に遡る。埋め立ての末、昭和42年12月に完成したから、54年前だ。そこに、初期の段階で神東建設工業株式会社の山根興三次さん(96歳)が、社屋を建てられた。当時周辺は、まだ広々とした空き地だったそうだ。

5~6年経ち、社屋なども増えた頃、山根さんの呼びかけで第三工区会という親睦組合が出来た。山根さんはモラロジー(道徳科学)という会で共に学んでいたご縁から、私もよく存じ上げていたが、人の和を大切にする方だった。

そんな第三工区会が大活躍したのは、26年前の阪神・淡路大震災により周辺の岸壁が崩れ、多数の会社が経営不可になった時だった。山根さんは、当時顧問をされていた高田巌議員と共に神戸市と交渉を重ね、素早い復旧を果たされた。私も、共に応援した。

以後、第三工区はその存在意義を深め、通常時は工区の清掃や駐車問題、従業員の通勤問題に防犯・防災など、あらゆる安心安全のために、関連官公庁と良い関係を保ちながらその役目を果たしてこられた。

時には一泊のバス旅行を企画され、私も同行した事があった。偶然、同じ工区で働く人々の一瞬の結びつきだけど、その間お互いに尊敬し合って協力される。他に例を見ないケースだが、問題は、ほとんどがサラリーマンで転勤になる事。今回もアサヒホールディングスK.Kの赤井省太様が会長として色々と良い提案をなさり、副会長の柳さん、木村さんで第三工区のウェブサイトやロゴマークを作成され、さらに内容のある第三工区会にしようとされていたのに、転勤となり、柳さんが会長に就任された。

柳さんには御父上にもお世話になり、私はよく、仲良く語り合ったものだった。そのご子息で、几帳面で責任感のある方だけに、さらに期待出来る。第三工区会50周年を迎える今、経済発展の犠牲となった海浜の上にある第三工区だけに、せめて第三工区内の人々が仲良く安全に働きながら、内陸の方々、市民との連携などを図られて、一体となって力を発揮できるよう図って欲しいと思っている。
写真 えびす神社記念碑
(写真上) 第三工区ではないが、東灘の沿岸の埋め立ては、江戸時代から毎年浜祭りが行われていた神社さえも、なくしてしまっていた。