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2020年 12月 18日 金曜日

御影自治会連絡協議会会長でもある鍵田武司館長が、御影公会堂の一室に… 藤澤福男さんの写真を飾った。

私が会の会長を仰せつかった、藤澤福男さんとのお別れ会が、12月17日14時から御影公会堂で行われた。当日お別れ会でお別れの言葉を述べたのは、私と井戸敏三兵庫県知事と久元喜造神戸市長、それに、神戸甲南ライオンズの谷尾博史代表だった。

おいで下さった方々は、主に自治会やまちづくり協議会の人々に、市役所の職員の方々。それに、ライオンズ関係者と婦人会で、約170人だった。

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私はお別れの言葉の終りに、
「40年間私と共に、御影の再開発、御影クラッセ、だんじり広場、阪神御影駅のバリアフリー、バレンタイン広場など、御影の発展と神戸市の為に身を捧げて来た戦友だった。26年前の大震災の復興も、二人で頑張った。彼は、市役所幹部と太いパイプを持っていて、安井さんはすぐ怒るらしい。役人の立場も考えてやって欲しいと、注意して下さった。良い兄貴分だった。しかし、皆さんはお気付きではなかったかも知れないが、私は、彼が決して軍歌を歌わなかったのを知っていた。でも、同世代の人々が歌い始めると、にこにこして上を見ていた」
「立命館大学を早期卒業して兵役に就き、多くの友を亡くした無念さと、県職員の時、まいづるの引き上げ船の担当責任者として働いた時の悲しみで、彼は真から戦争を憎んでいた。その心を決して語らず、素振りにも見せなかった。私は、彼を凛々しく感じ、それが男の美学に思えた。彼は、堂々と100年を生き、多くを残した」
と、逸話を添えて、その生涯を称えた。

今回も又、御影地区まちづくり協議会の高嶋良平会長のご尽力で、コロナ対策のできた、短時間で思いのこもった式になった。私との二人三脚が一休みになった日だったが、同時に、この日こそは、伝説が始まった日なのだ。

御影は彼から多くを頂き、御影は彼に働く場所を与えた。そして、彼の望んだ御影公会堂で、彼の好きな写真で、彼の好きな人々に囲まれ、別れていったのだった。
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