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2020年 10月 30日 金曜日

まさに、神戸市の栄光と没落、忍耐の時代を共に生き… 次の希望と夢の礎となる姿だったのは、他ならぬ神戸市役所本庁舎2号館。

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その「お別れ式典」が、10月29日朝10時から2号館ロビーで開かれた。招待されたのは歴代の市長・副市長・助役や、市会議長・副議長らで、総勢約50名が2号館入口ロビーに集まった。私は一足早く9時に行って、展示物を見学した。

8階建ての2号館は、63年前の昭和32年、原口忠次郎市長時代に、当時兵庫区、今は中央区の川池小学校北、湊川中学校跡地に、神戸市のシンボルたる本庁舎として建設された。当時、議会は空中の連絡通路でつながれた南側にあった。私が議員になった頃には、既にその議会棟になっていた。

展示物によると、神戸市政は明治22年4月1日に発足し、初代市役所は現在の中央区相生町 海員会館がある兵庫区東川崎町で、議場は同じく東川崎町の神戸商工会議所にあったらしい。その当時の人口は、15万人。その後、いったんは100万人近くになったが、戦争で36万人になり、今回お別れする2号館が建った頃には復興して、100万人に。神戸市が最も輝く時代に入る頃だったらしい。

被災当時の二号館
1995年3月被災当時の二号館
Wikipediaより
その後、宮崎辰雄市長によりポートピア’81が開催され、神戸市は日本5大都市の一角を占めていく。以降、神戸国際空港の誘致に、大失敗。そしてあの、阪神・淡路大震災だ。この2号館も、8階建てだったのがサンドイッチ型に破壊されて、6階が崩壊。上部を撤去して5階建てとして存続したが、今年3月に運用は終了。これから取り壊され、跡地には官民合同の、庁舎機能に音楽ホールなどが入る複合施設が計画されており、2025年度以降に完成する予定だ。

私にとっては人生の大半を共にした庁舎であり、63年の内43年間、ポートピア’81の前から通った庁舎だけに想いが深い。他人事などとは思いようのない私は、庁舎の玄関の床にそっと手をふれて「御苦労さま、そしてありがとう」と、精一杯の気持ちを伝えたのだった。
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