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2020年 06月 30日 火曜日

その時、自分は静かに死を迎える事ができるだろうか。叫び罵り、苦しさのため暴れるのではないかと思うと… 薬で安楽死させて欲しいとさえ思う。

コロナのお陰でよく見るようになった、テレビ。メディアは、批判勢力であるべきといわれるが、ともすれば平衡感覚を欠いたものが多い中で、BS1が放映していた北イタリアの医療崩壊の実態の報道、「コロナ医療崩壊の現場で~医師フランチェスカの闘い」は、見ていて恐怖を感じた。

神戸でも、今は一見平静に見えるが、いつ第二波・第三波が来るか分からない。世界に目を向ければ、感染者は1,000万人を超えているのだ。

イタリアのベルガモでは、運ばれた患者に点数をつけ、特に年齢や、糖尿病や心臓病といった他の病気によって選別している。治療機器が不足し、命を守る最後の砦である人工呼吸器を、医師が泣きながら75歳の方から48歳の方へ移す。そうしざるを得ないのだ。宗教団体や人権団体は命の平等を訴え批判するが、この医師は仕方なく、その立場の苦しさに何度も、悪夢と恐怖に襲われるという。

市民は病院行きを選択しなくなり、救急車を呼んでも乗らず、隊員も自宅待機を勧める。高齢者は放置されると分かっているからだ。それが、医療崩壊の実態だった。

医師会の方々や病院協会の方々が、絶対に医療崩壊をさせてはならないと訴えられる、その理由がよく分かった。医師は家庭に帰れず働き続け、絶望が続く。それだけに、たまに帰ると家族の大切さを実感し、励まされ、義務感でまた戦いに出る。

神戸も、あと一歩でそうなる運命だった。周りの病院群が、それを支えた。もちろん、日本人は皆で助け合えると信じているが、ああした場面にまで事態を行かせてはならない。

ふと、自分に置きかえてみると、私は、明らかに選別され見捨てられる分類に入るではないか。その番組に出て居た医師は、安楽死のためのモルヒネをいつも持って救急車に乗っているという。絶対に、医療を崩壊させてはならない。戦争以上に残酷な事が、人類に起こっているのである。