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2020年 02月 11日 火曜日

嘉納治五郎を顕彰する方法は、地元として他にもある。それを、なんと歴史ある 市道弓場線を「嘉納治五郎道路」と名称変更するなど、困ったもんである。

というのも、実は、弓場自治会の方々から二度にわたって、市道弓場線を「嘉納治五郎道路」と名称変更する話があるとして、反対だと仰る抗議の電話があったのだ。私は、そんな話にはまったく進んでいないし、私に何の相談もない。そもそも、私は相談があったとしても、同意しないとお答えしている。

実は、私が知ったのは、地元の歴史学者が講演で提案したという話くらいで、同調する人もいないではないらしいが、勝手にやっていれば、と思っていたのだ。提案者も、言い出す前に地元やまちづくりの高嶋さん、自治会や私などに相談すべきだったと思う。

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弓場とは、地域の旧小字名であり、町制の区名も「弓の場町」だった。今でも、だんじりで使われている地域区分ですらあるが、その道の名としての歴史は、おおよそ1943年にまで遡る。戦時中に空襲時の避難道路として兵庫県師範学校の敷地を貫いて計画され、用地確保ができたのが1943年。その後、戦災復興事業で整備して完成した道路なのだ。だから、「弓場筋」という愛称まである。そんな、歴史的に特に意義のある道路名なのだから、自治会関係者は怒って当たり前だ。

いずれにしろ、公的にも、又、運動としても大きなものにないっていないので、そんな事にはならないだろう。顕彰事業は、地元を上げてやれる事を提案するべきであると思っている。

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