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2019年 12月 03日 火曜日

戦後保守の巨星、中曽根康弘元総理が先月29日、101歳で死去されたが、その前日… この分だと確実に中曽根康弘元総理を抜いて長寿でいて下さると思う方を訪ねたのは、28日。

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御影まちづくり会の高嶋良平会長と足立ボランティアと私の三人で、御影の大君 藤澤福男さんをお見舞いに、老人ホームへ出向いたのだ。中曽根元総理の101歳に次ぐ100歳の彼もまた、戦争経験者だが、同じ戦争経験者でも藤澤さんは反戦主義者で、戦後軍歌は一切歌わなかった。

社会党の黒崎敬三市会議員の後援会長をされ、私とは3回に渡って戦った。もともと、思想は自民党というより、元兵庫県職員として役所大好き系の方で、頭も良く根性がある。たまたま黒崎候補者が同じ町であったので、後援会長になったにすぎなかった。

私は、黒崎先生が引退されたので、御影としてこの人材を生かすべきと考え、私から近づいて話し合いを続け、共に御影と神戸市の為に頑張ると誓った。それには、藤澤さんに力と発言力を付けて、彼の能力の高さを示す必要を感じて、多少強引であったが、2期8年間選挙管理員をお願いした。

その間、自治会の会長を長年やっておられたので、東灘区連合自治会長から神戸市連合自治会長に就任された。加えて、その人柄から、神戸市職員の幹部から信頼されて、私と組んで仕事が出来るようになった。御影タワーマンションクラッセ御影だんじり広場や、阪神・阪急の御影駅のバリアフリー化、そして、御影公会堂へと続くなど、その他諸々、二人で多くの仕事をしてきた。

さらには、兵庫県知事の信頼も厚く、日本赤十字兵庫県代表理事として活躍され、97歳の頃でも、ご自身、東京の会議に出席されたいた。

その間、大変な迷惑をおかけした事もあったが、二人の絆は今も続いている。それは偏に、彼の頭の良さと人柄によるのだ。ユーモアもあって、女性を大切にされる。皆が彼を「いい歳をして」とからかいながらも、彼を愛し敬っているのが分かる

見舞った部屋で、「願われていた阪神御影の澤之井の井戸もきれいにしていくし、御影だんじり広場の看板も出来ました」と報告すると、嬉しそうに笑って頷かれた。頭も耳も、しっかりしておられる。目が悪く、我々の顔の輪郭しか見えない彼は、昨日、市の三人の幹部が来て下さったと喜んでいた。御影まちづくりの星の輝きは、衰えず。ひたすら、長寿を祈るばかりだ。