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2019年 11月 01日 金曜日

これから長く険しい道程を歩まねばならない、覚悟の日だったのは… 令和元年10月26日。約680人の来賓と関係者がホテルオークラに集い、甲南医療センター竣工式典と祝賀会が午後6時から、盛大に行われたのだ。

平生 釟三郎の「真に患者の為になる病院たれ」「常に備えよ」との理念の中で昭和9年に誕生し、戦争にも震災にも耐えて一般財団法人 甲南会 甲南医療センターへと躍進した旧甲南病院が、85年ぶりに現地で全面建て替えとなったのだ。

開式の辞では、平生 釟三郎子のお孫さん、一般財団法人甲南会の平生 誠三理事長がお礼の言葉を述べられ、次いで久元 喜造市長が祝辞を述べ、甲南の力を褒められた。住吉学園の竹田 統理事長は、住吉学園と甲南医療センターの関係をご説明下さった。それは、平生 釟三郎との繋がりだった。初めての話だっただけに耳目を集めた。

光栄にも、市長と共に6人の来賓の一人、ただ一人議員として出席した私は、25年前の阪神淡路大震災で二人の看護師を失いながら、まるで野戦病院のごとき状態で働き続けられた、その御思は、東灘区民も灘区民も忘れていないとして、市民病院のない東部の機関病院としても、市民の期待は大きいと述べた上で、「今回の大改修では、莫大な借金を負う事になる。その借金のためにもし病院の名前が変わるなら、それ市民の恥であり、責任であります」と訴えた。

そして、「私は具院長に惚れていて、具院長が『余命を甲南医療センターに掛ける』と仰ったので、私も同じく『余命を掛けさせて下さい』とお願いした。これは、男のロマンなのです。従って今日は、お祝いではなく、大改修を成功させ、病院が市民のために活躍し長く存続するようにという、皆での誓いの日にしていただきたい。そして何より、神戸大学医学部と義理堅い住吉学園に、お願い申し上げます。今日から、次の85年を目指して行きましょう」と述べ、最後に、平生 釟三郎の足跡は神戸市の副読本として、子供たちの教科書となるのをご報告申し上げた。

何人かの方々と握手をされていた具院長の引き締まった目に、光るものがあった。私の目に映っていたその光景もまた、霞んでいったのだった。

写真
式典会場で、具院長らと