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2019年 08月 09日 金曜日

私にとって盆踊りよりも花火よりも、価値ある夜の一時だったのは… 20年ぶりに観劇に行った、3日のこと。

私の地元、魚崎地区に、20代の大学生だった当時から演劇が好きで、劇団に入って楽しんでおられたという、78歳の濵田義則さんが入っておられる、兵庫県劇団協議会の50周年記念合同公演が催されたのだ。

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甲南の先輩で、私はなぜかこの方が好きで二人でいると楽しいし男心が通じる、あかふじ米の益也会長を誘った。経済的にも人脈も雲泥の差があるが、それを感じさせない優しさと温かみがあって、いつも多くを教えられる。藤尾先輩の日程に合わせて、私はボランティアの足立を、先輩はお嬢様の上田あや子さんを連れて、新開地のアートビレッジセンターに向かった。

当日は神戸の花火大会だったので、混雑を避けて阪神電車で向かった。先に先輩が着いておられ、上田さんは少し遅れられるそうだったが、私たちのために列に並んで、席を取っていて下さっていた。

かくて夜6時30分、なんと、かぶりつきの席に座った。本当のかぶりつきで、役者さんからは1m程しか離れていない。76才と80才の二人がかぶりつきで見るなんて何となく恥ずかしいやら面白いやらで、二人で楽しんだ。「かぶりつきは学生時代以来やなぁー」…それだけで、意味が通じ合った。

「大正七年の長い夏」と題した劇は、第一次世界大戦が引き起こした爆発的な好景気が、神戸に大きな繁栄をもたらし、神戸を代表する鈴木商店は日本一の商社となるが、米の値上がりで庶民は苦しんでいたという、神戸の米騒動を扱ったものだった。

その一場面を有効にいかして、庶民が米を買い占めて莫大な富を得ているとのデマで鈴木商店を襲い、神戸新聞も巻き添えで火を放たれるまでが描かれていて、内容のある、良い劇だった。濵田さんは、わらびもち売りでご出演。庶民の一人として、立ち上がる庶民の間の緩衝役という役で、名演技を見せてくださった。

先輩が横で、「ここら辺りも燃えたところや」と教えて下さった。先輩は鈴木商店の末裔の方も知人で、かつての鈴木商店の隆盛を惜しんでおられた。実は、故宮崎市長が「鈴木商店が金融危機の時、市長がなぜ助けなかったのか」を私に語った事があった。私は、「貴方も神戸空港を追いやったのでは」と、チクリと言ったのを覚えている。

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劇が終わり、分かれてから私たち二人はホルモン焼き屋に入った。新開地はさすがに、安くておいしかった。

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濵田さんと
帰りの電車のホームで偶然、濵田さんと出会すと、大変喜んで下さっていた。

私が「かなり鈴木商店に気を遣っていましたね」と言うと、「その通りです」。先輩とは違った自説を語ってくださったが、それもまた、うなずける解釈だった。歴史もまた、知る背景や関連する知識、立場によって、見ようはいかようにでも変わるものだろう。もしも、はないというが、史実をさらに深く考える良い機会になった。