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2019年 08月 02日 金曜日

戻って早速、「長きに渡る貴方の御苦労と働きは、130周年の歴史に深く刻まれています。こうして神戸という地に偶然集まった人々の努力と愛で、次の140周年に向かう神戸に栄あれと祈ります」としたためた、お祝いのはがきを… 送ったのは、神戸新聞松方ホールで行われれた神戸市制130周年記念式典が終わってから。

神戸に市政が敷かれたのは、明治22年4月1日。その130周年を記念して、85人の方々が市政功労者として表彰されたが、その内23人の方々とは知己もあり、御招待頂いたので出席したのだ。7月27日、土曜日の10時から行われれたそれは簡素な式典だったが、それが却って良かったと感じられた。

市長の「神戸市は、産業都市として歩み、陸・海に空も加わっての、交通の要として重要なポストを担ってきた。大きな苦難に耐えた都市でもある」と語られた。が、最後に「人口減少化は、自分の責任である」と発言されたのが、特に印象に残った。

続いた知事は、「日本のフロンティア都市であり、開放性があっていろいろな所から人々が集まって来て、新しい都市をつくる、そんなエネルギーに満ちた都市だ」として称讃された。神戸市会議長も格式の高い挨拶だったが、議会の事にもう少し触れて下さるとさらに良かった。

私は、式典の2部に歌や踊り、手品等ではなく、アカデミックなシンポジウム等が好きなのだが、今回は、神戸ゆかりのアスリートによるトークセッションが企画されていて、良かったし楽しかった。ただ、アイナックで元世界制覇の原点となった澤穂希選手がいなかったのは、残念だった。

女子サッカーが今のように注目されず、まだ選手がアルバイトをしながら頑張ていった時代に、神戸に来て世界一を成し遂げた。現在も、神戸観光大使だと思っている。女子サッカー発祥の地神戸としては、せめてビデオメッセージだけでも欲しかったなぁと、お二人の方に尋ねてみたが、理由は分からなかった。

お一人が「日程が合わなかったのでしょう」と仰るので、私もそう思うことにした。受賞者の方で、お会いしたかった人も、たくさん。きっと、それなりの理由がおありになるのだと思う。せめてもと、冒頭のような葉書をしたためてお送りしたのだ。

それにしても、「人口減少化は、自分の責任である」…市長の言は立派だが、私も含め、先々を見据えての布石を欠いたのは、皆それぞれに責任がある。それを心して、人口減少問題の解決についても「フロンティア都市」と言われるよう、日々努めていきたいと思う。